愛されるより愛することができる人間が尊い | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

みんな愛される人間になりたいと思うが、仏は愛されることよりも、愛することができる人間になりたいと思う。

人を愛することは、親になったらできるというものではない。親になったからと言って、子供のことを愛するようになる訳じゃない。

愛するとは、その人の存在を心から大事に思い、大事にすること。多くの場合、頭では大事にしなけれぱならないと分かっていても、子供が言うことを聞いて可愛い時は大事にしてあげたいと思っても、言うことを聞かずに憎たらしく思うと、大事にする所か、傷つけたいと思ってしまう。

大事にするとは、都合が良くても悪くても、その人の心を守り、育ててゆくこと。それは相手のことよりも、まずは自分の心に対して都合が良くても悪くても、大事にし続けることが大切。都合と関係なく、自分の心を大事にし続けることができるからこそ、相手のことも都合が悪くなっても、温かい心で接してゆくことができる。

すべては自分から始まる。自分に対してやっていることが他人に対してもやってしまう。相手を愛する為には、自分の中にある都合の悪い自分のことを嫌いにならずに、好きになってあげること。たとえみんなから嫌われるような自分が見えたとしても、私だけは嫌いにならずに、都合の悪い自分を受け止めてあげる。その積み重ねが他人に対しても愛することができる人間になるのだと思いました。