如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり
阿弥陀如来がどうして本願を建てられたのか?
その御心を尋ねてみると、それは修行をしようとしても不安が強すぎて現実と向き合うことができないものに対し、現実と向き合う心を与えることを目的として、大慈悲心を作られたのである。
阿弥陀仏に救われたならば、何もしなくても浄土に往生できる訳ではない。往生する為には二河白道を進まなければならない。でも、現実と向き合うと不安が吹き上がり、智慧がない私たちは現実と向き合わないことが良いことなんだと思っている。そんな私たちをどうしたら浄土に往生させることができるのか。それは私たちに現実と向き合う心がないなら与えればいい。そう思って現実と向き合う心を与える為に大慈悲心を作られたのです。だから、大慈悲心を頂いたならば、私には現実と向き合う心はなくても、大慈悲心が現実と向き合わせてくれるので、浄土へと往生することができるのです。