無明長夜の灯炬なり無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ阿弥陀仏に救われたならば、信心とは、智慧がなく放っておくと、深い迷いにはまってしまう私たちにとって先を照らす灯りのようなものである。だから、どんなに迷いが深く智慧のない自分であっても悲しむことはない。また、信心とは、悟りを開くため二河白道を進んでゆく上での船や筏のようなものである。だから、どんなに罪や障りが重く、都合が悪いとそれが障りになって罪悪を造るような私であっても、罪障重しとなげくことはいらない。