一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば 三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり
仏教のどんな教えを知った功徳よりも、阿弥陀仏に救われて信心を頂く功徳の方が素晴らしい。それは信心とは、仏の心であるから、仏のような素晴らしい人格に対して自分のお粗末さが知らされるからだ。
だから、いつも仏様のような人格を目指して無限の努力を続けるようになる。この仏様を敬う心が南無阿弥陀仏。仏は素晴らしい。それに比べて、自分はまだまだだ。こんなこともあんなこともできない。だから、ここを直してゆかなければならないと、一つ一つ自分のできてないところが知らされるから反省して正してゆく。正してゆくから、無限の向上してゆく。南無阿弥陀仏はどんなに努力をしても、それを苦と思わない。こんなに私だけ努力しなければならないのかと思わない。それが南無阿弥陀仏。
努力するから成長してゆく。でも、その努力を前向きにさせてくれるのが南無阿弥陀仏。だから、南無阿弥陀仏は素晴らしい。信心があっても、南無阿弥陀仏をしなければ、努力をしない。頂いた信心を自分のものだと思って安心してしまう。南無阿弥陀仏をするから、自分はお粗末だと思って努力を続けてゆく。この努力の積み重ねが、その人を素晴らしい人格へと変えてゆくのです。