嫌いになるとは排除の心 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

よくあの人嫌いという人がいるが、あの人嫌いとは、あの人なんていなくなればいいと思っている心。
それはそのまま自分にも返ってくる。
だから、自分が誰かにとって都合の悪い存在となってしまったならば、その相手は自分のことを嫌っていると感じて、何か自分なんてここに居てはいけないように感じてしまう。

他人を嫌いになるのは、仕方のないことだが、それによって自分の居場所もなくなってしまう。
だから、他人を嫌いになることは、自分の為に止めた方がいい。
自分も居なくなってはならない存在であるように、この世に居なくなっていい存在はいない。
たとえ他人から嫌われることがあっても、自分はその相手のことを嫌いにはなりたくないものですね。



《自分のことが嫌いだと、まわりの人も自分のことが嫌われているように感じる》

心が傷ついている人ほど、誰かを傷つけずにはおれなくなって、汚い言葉を吐く。
でも、大人になると、汚いことを思っていても、それを言ったら大変なことになるので、口には出さなくなる。
そして、汚いことを思い続けている自分に嫌悪感を感じるようになる。

このような人は自分のことを好きにはなれない。それはどんなに口に出さなくても、自分の心で思っていることが漏れ出ているように感じるから。
そして、まわりの人は自分のそんな嫌な心を見透かして、自分のことを嫌いじゃないかと思ってしまう。

それは本当は、その人の思い込みなのだが、まわりの人のちょっとした言動が自分のことを嫌いだから、そんなことをするのじゃないかと思ってしまう。これは唯識。

本当は他人から嫌われている訳ではなく、自分が自分のことを嫌いなだけ。でも、自分のことが嫌いだから、まわりの人も自分のことを嫌いではないかと思って、無意識に避けてしまう。
避けるから、まわりの人は接しにくい人だと思って、距離を取る。それをその人は、ほら、自分の心で思っていることが伝わったから、そうしたんだと思って、ますます汚いことを思う自分のことを嫌いになる。

こうして、このような人は自分の作り出した世界の中でいつまでも苦しみ続けてゆく。

この苦しみから抜け出す為には、まず自分の嫌いな所をこれも自分なんだなと思って許してゆかなければならない。

私たちは他人から嫌われているから苦しむのではなくて、自分が自分のことが嫌いだから苦しまなければならない。

醜いとか綺麗とかにとらわれることなく、ありのままの自分を好きになりたいものですね。