待ち娘だから、苦しむ | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

苦しみって、他人から自分が大事にされているかどうかを問題にするようになると感じるものだと思います。

こうなると、相手の意識が自分に向いているかどうかが気になり、相手が自分のことを無視するような言動を取っただけで、あの言動はひどい、それによって私は傷ついたと苦しむ。

でも、相手だって、いつも自分のことを気にしてくれる訳ではない。相手は相手で好きなことをやっているだけなのに、私は相手の意識が自分の方に向いているかどうかが気になっているから、少しでも相手が自分の方に向いてくれるように頑張って、それで向いてくれないと、一人傷ついて落ち込んでいる。

結局、相手から大事にされたいと思っている人は、大事にされる為に動き、無視されると苦しみ。相手に振り回されて生きている。

仏教は大事されるように頑張るのではなくて、大事にするように動く。
いつも他人からしてもらうことばかり、期待するのではなく、自分から動いて望んだものを手に入れてゆく。

声をかけてもらえないなら、自分から声をかけたらいい。

他人からさせれることを期待せず、自分から動いていったら、苦しむこともないのだと思いました。