不幸な時ほど、幸せになるための道を指し示してくれているのかも知れない | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

これまで生きてきて思うことですが、今自分にやってきている運命たいうのは、今まで自分がどんな思いで生きてきたかで決まるように思います。

どんなに自分では自覚なくても、他人を馬鹿にしてきた人は他人から馬鹿にされ、軽く扱われるし、他人を大事にしてきた人は、自分も大事にされる。

それは自分が心でどう思って生きてきたか。それが如実に自分の運命となってやってきているのだと感じます。

だから、思い通りにならない運命を受けて苦しんでいるとしたら、それは紛れもなく、そんな運命を受けるような種まきをしてきたからであり、多くの場合、自分がそんな種まきをしてきたなんて自覚していません。

たからこそ、自分が不幸な運命を受けたときは自分が何でこんな目に遭わなくてはならないのかと嘆き、あいつのせいだと他人を恨んだりします。

でも、どんなに受けた運命を否定しても、現実は変わる訳ではない。だからこそ、自分の種まきを反省して、これからは同じ運命を受けないように努力してゆくしかないのです。

でも、悲しいことに努力したけらと言って、現実が簡単に変わる訳ではない。思い通りにならない運命を受けながら、生きてゆくしかないこともある。

でも、それでも、種を蒔き続けゆけば、不都合な現実は変わらないまま、でも、自分の生きてゆく世界が自分の望んだように変わってゆきます。

種まきは嘘をつきません。やっぱり自分が受ける運命は自分が蒔いた種の結果。
自分が今までどんな思いで生きてきたか。それが運命となるんだと痛感します。

幸せになりたければ、思い通りにならない運命を受けたとき、如何に反省して、今までの生き方を変えるか。

それを地道に続けることが自分を幸せにしてゆくのだと感じています。
不幸な時ほど、幸せになるための道を指し示してくれているのかも知れませんね。