少欲知足 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教に少欲知足という言葉がある。これはどういう意味か?

文字の意味から言えば、欲少なく足ることを知るということ。
私たちは何が幸せかと言えば、何かを手に入れて自分のものにすることが幸せだと思っている。

欲を起こせば、あれも欲しい、これも欲しい、欲しいものが一杯。その為に金が欲しいし、財産も欲しい。いい車に乗りたいし、いい所に住みたいし、贅沢な暮らしもしたい。

でも、その欲を少なくすることが少欲だとしたら、少欲とは私たちにとって、どんな意味があるのか?

欲しいものがあっても買わないことがいいことなのか?

貧乏な暮らしに満足することが少欲知足なのか?

もちろん、仏教とは、私たちを幸せにする為の教えだから、少欲知足も私たちを幸せにする為にぜひ実践した方がいいから教えられる。

では、少欲知足とは何か?

それは、私たちは何かを自分のものにして、思い通りにできたら幸せだと思っている。でも、実際は、どんなに自分のものだからと言って、それを粗末に扱ったならば、自分の心が荒んで苦しくなる。

少欲とは、あれも欲しい、これも欲しいと思って、自分のものにしようとする心にブレーキをかけたもの。

そんなに何かを所有しても、それをちゃんと使ってあげず、ただ自分のものにしたいと思って、我をつけているだけでは、自分の心が苦しくなると教えられたものです。

だから、貧乏な暮らしをした方がいいという訳ではない。そうじゃなくて、自分のものだと思って手に入れたものは、それが自分のところに来て良かったと思ってもらえるように大事にいつも使ってあげる。

欲の深い人は、買って自分のものにするだけで、その物を使わず放置している。それが良くない。

買ったものはいつも使ってあげるし、使わなくなったものは捨てる。
そうやって、使わなくなっても執着して持ち続けることをやめる。

水はいつも流れているから、その水は清らかであって、それを自分のものにしようと思って、いつまでも自分の手元に溜めておいたら、水は腐る。

さらさらとさらさらと物事に執着して自分のものにしようとせず、必要な分だけ、大事に使い、それ以上のものを得たら、気持ち良く、他人に施してゆく。これが少欲知足なのです。