幸せのこころとかたち
破壊衝動
私たちは自分が苦しんでいる時に、まわりの人が楽しそうにしていると、その幸せをぶち壊してやりたいというような破壊衝動が起きる。
他人が楽しそうにしていることと、自分が今苦しんでいることと関係ないことなのに、関係のない人たちの楽しみをぶち壊したいと思うのだろうか?
それは相手の姿を通して自分の姿が見えているから。
自分が人と楽しんでいる時には、誰かを馬鹿にして見下して、自分が上に立つことによって楽しんでいる。
誰かをのけ者にして仲間外れにして、自分だけ楽しもうとしている。そんな過去の自分の姿が相手を通して見える。だから、相手の姿が見たくない。ぶち壊したい。そんな酷いことをしているものが自分だと思いたくない。
だから、相手の楽しみをぶち壊すことによって、自分の過去の姿まで見えなくさせようとしているのです。
誰しも自分の姿を見たくない。
それは自分がやったことによって、どれだけ相手が傷ついているか。そんな相手を傷つけるようなことをしている自分を見たくないから。
でも、私たちは気づかないだけで、どれだけ相手を傷つけるようなことをしているか分からない。
それは口や体ではやっていなくても心ではやっている。
でも、そのことに気づかずに私たちは生きている。でも、相手を見てしまうと、そこに自分の姿が見える。
どれだけ相手を傷つけているようなことをしているか。それはどんなに自分はそんな酷いことはしていないと否定したとしても、相手を通して見えているということは自分もしている。そんな酷いことをしている自分だと思いたくない。
だから、そんな相手の幸せをぶち壊して、目の前から消そうとする。それが破壊衝動なんだと思いました。