幸せのこころとかたち
存在価値とは(価値とは)
次に存在価値の価値とは自分のことをどれだけ価値のある人間と見ているか。
自分のことを価値のある人間と見ている人は存在価値の高い人であり、自分とは取るに足らないいてもいなくてもいい人間だと思っている人は存在価値の低い人です。
では、この存在価値の高いとか低いというのはどのように出来るのでしょうか。
私たちは自分で自分のことを見ることが出来ないので、他人から自分のことを見てもらうことによって、自分の存在価値を確認しています。
存在価値を確認するとは、自分がここに存在していることを感じ、自分がどれくらい価値のある人間なのかを確認するということ。
この中の自分の存在を確認すると言うことについてはすでに説明したので、今回は存在価値の価値について説明します。
私たちは誰しも他人から見て自分は価値のある人間になりたいと思っている。それは価値のある人間になれば、まわりの人から大事にされるし、相手にとって自分が都合の悪い存在になっても見捨てられないから。
言い換えれば、まわりの人から大事にされる人間のことを存在価値の高い人間と言います。
自分を価値のある人間だと思っている人は、自分を大事な存在だと思うように、自分の持ち物もまた、自分の身の回りの人も大事に接する。それは一事が万事であって、存在価値の高い人は、自分を大事な存在だと思うように、自分のまわりの人も物も大事な存在だと思っているから。
だから、自分を大事にするように、自分のまわりの人たちも自分の使っている物も大事にしようと思うのです。
反対に存在価値の低い人は、自分を大事な存在とは思えない。
だから、自分の持ち物も雑に扱うし、自分のまわりの人たちも軽く扱う。
では、なぜ自分を大事な存在だと思えないと、自分の持ち物や身の回りの人たちを軽く扱うようになるのか。
それは大事に扱うとは、面倒臭いことであるから。
大事にするとは、対象に対して、その対象が傷つかないようにわざわざ動いて丁寧に扱うこと。
コップならば、使ったら、すぐに片付ける。また使うかもしれないけど、使ったら、その都度片付けることが物を大事にするということ。
でも、存在価値が低くなると、出したら出しっぱなしになる。それは面倒臭いから、出しておけば、また、使いたい時にすぐに使える。それで出しっぱなしにしてしまう。
こうなると、面倒くさいことは段々とやらなくなる。
面倒くさいことは、どんどんと後回しになる。
そうやって、欲に流れて、片付けることはしなくなる。こうなると出したら出しっぱなしになるし、使ったら使いっぱなしになる。
これが存在価値を低くする行い。
存在価値が高い人は一度使った物は、その都度片付ける。それは物を大事にしているから。大事にするとは、そのものに対して、心を常にかけておくこと。だから、コップを使ったら、そこにコップがあるんだなと常に心にかけておいている状態が、大事にしているということ。
でも、使ったら使いっぱなしで、そこに放置しておくと、どうしても心から忘れてしまう。
心に常にあるものものは大事にしようと思うが、心から抜けてしまうものは、大事にしようと思っていても、軽く扱っている。
軽く扱うとは、心から抜けてしまう状態。
自分の目の前の欲に振り回されて、大事なものが見えてない状態が軽く扱っている状態。
それに対して大事にするとは、心の中に常に留めていて、忘れないこと。でも、実際に心に留めてみようとすると、今目の前に使っているものしか、大事にすることはできない。使っていないものは心に留めることは出来ないし、自然と忘れてゆく。だから、使わないものは片付けなければならない。
片づけるとは、そのものを忘れていても、安心な状態にしておくこと。いつも心にかけておくことは出来ないので、忘れてもいいように元の場所に戻しておく。それが大事にするということ。
自分の持ち物を大事にしたいから、一度使ったものをその場に放置することなく、すぐに片付ける。そうしてゆくことによって、存在価値の高い人間になってゆくことができるのです。