数年前から、

友人が子どもたちの居場所を作っている。

私も、

元幼稚園の先生とか、

学童保育とかに

関わってきているし、

やっぱり子どもたちが気になるし、

で、

居場所づくりに関わっている。

 

そこに来る子どもたちは、

学校に

行ったり

行かなかったり。

給食だけ食べに行くとか、

好きな授業だけ出るとか、

遠足は行くとか、

自由な参加の仕方を選んでいる。

 

いわゆる、

義務教育の学校に行かない子どもたちのことを、

「不登校」というのだが、

私はこの言い方が好きではない。

どちらかというと、

以前、

「登校拒否」と言っていた、

このほうがしっくりくる。

 

義務教育とは、

「国や政府、保護者などが子どもに

受けさせなければならない教育のこと」

(ここでいう義務は

おとなにある。)

 

逆にいうと、

誰にでも、

「教育を受ける権利がある」

 

私は、これを自分なりの言葉にすると、

「学びたい子どもが

学びたい時に

学びたい形で学べる。」

 

「そういう環境をつくる。

周りの大人がサポートする。」

 

こんな感じだ。

 

なので、

その環境が、

学校でもいいし、

ネットでもいいし、

外国でもいいし、

100人いたら100通りの学び方があっていいと思っている。

 

それがなんだか、

「学校に行かなければならない」とか

「学校に行けないのはその子に問題がある」

「学校側に理解がないから学校に行けない」

というイメージがあるように感じる。

 

いろいろ突き詰めていくと、

 

「人は何のために生まれてきて、

なのために生きてるの?」

 

ということになっちゃうんだけど、

 

この世界を体験したくて

生まれてきたんだよね、

 

と思う。

 

それをどう捉えるか。

 

あるいは、

 

どう捉えたいか。

 

ということだろう。

 

さて、

今日1日をどう過ごしたい?