私は、かつて結婚していた時、
夫とまともに会話にならず悩み、
結局離婚するという経験をした。
違和感を感じながら、
「これはなんなんだ⁉️」と、
心理学やカウンセリング、コーチングなどを学んでみたり、
いろいろなコミュニケーションについて学んだ。
そして、
人間関係の悩みは、
コミュニケーションの悩みだ、
という結論に至った。
よく夫に子どもの成長の話や、
今日起こったことを話すと、
「で、どうしてほしいの?」と聞かれた。
「?」(別にただ聴いてくれたらいいんだけど・・・)
毎回そんな感じなので、
だんだん話すのが嫌になってくるし、
「仕事はどう?」などと聞くと、
「あー、会社もうすぐ潰れる。」
以上、おしまい。
「?」(潰れたらどうするの・・・?)
聞いてもまともに答えてくれないし、
会話にならないので、
話すこともなくなる・・・。
そんな繰り返し。
また、家でほとんど食事をしない人だったけど、
たまに食べると、
「味噌汁がぬるくてまずい」
と言われたので、
熱々で出したら、
「こんな熱くて飲めるか!」
と怒鳴られ、
味が濃いだの薄いだの、
量が多いだの少ないだの、
いちいちケチをつけられ、
料理ができなくなった。
それで嫌な気持ちを
誰かにただ聞いてもらいたいのだが、
「うちなんてもっとひどいのよ!」
と、自分の話をされたり、
「じゃあ、おかずなんか買ってきちゃえばいいじゃない!」とか、
「それくらい我慢すれば丸く収まるんだから我慢したら?」とか・・・。
で、むしろ余計に傷つく、
ということがよくあった。
それは、お互いに
「聞く」「聴く」「訊く」
などができていなかったのだと
今ならわかる。
話す人もただただ聴いて欲しい、
わかってほしい・・・で、
長い長い説明をして、
人の時間を奪ってしまっていることに
気づかない。
お互いに、相当な思いやりが必要なのだ。
ところが、
悩みを聞く人の方にも多かれ少なかれ悩みはあるもので、
人の悩みを聞きながら、
自分の悩みのことを考えてしまったり、
なんて言ってあげようかな、とか、
なんとかしてあげたいな、とか、
ついアドバイスしてしまったり、
自分のことを話してしまったりするのだ。
結果として、
「聞いていない」
ということが起こり、
話した人の方にも、
「聞いてもらった感じがしない」
ということが起こってしまうのだ。
どういうことかというと、
たとえ聞いている側の人が
「聞いているふり」をしても、
話している側に伝わってしまうようなのだ。
聞いている側の人は、
「聴く」ことに集中し、
「一切ジャッジしないで聴く」ことが重要。
相手に対するジャッジはもちろんのこと、
自分へのジャッジもしない、
これ、結構やろうと思うと難しい。
話を聴くことに集中し、
ジャッジしない、
この2つが同時にできると、
話す側の人も、
「聴いてもらえて良かった!
スッキリした!」
となる。
そして、
聴く側の人も疲れないし、
むしろ
「聴かせてくれてありがとう!」という
気持ちになるのだ。
こういうとちょっと語弊があるかもしれないが、
悩みの「内容」「起こった出来事」は
そんなに重要ではなく、
(起こってしまったことは変えられないので)
悩みの「内容」を理解しようとする必要はなく、
その人の「気持ち」を出してもらうことが大切なのだ。
なので、話す人も、
「何が起こったか」よりも、
「こんなことがあって(ちょっとの説明)
すごく悲しい」とか
「怒っている」とか
「腹が立っている」とか
「ムカつく〜〜!!キ〜〜〜〜!!」
とか、
ただただ泣いてしまうとか、
そんなんでいいのだ。
今では、
人の悩みを聴くのが全く苦でないばかりか、
むしろ聴かせて〜って感じ。
自分の悩みも、
ほとんど瞬間解決できるので、
無いに等しい。
今、何かの悩みがあり、
誰かにただ聞いてほしいという人は、
話したい相手に訊いてから話してみて!
「悩みをただ訊いてくれるだけでいいんだけど、
ちょっと時間とってもらえる?」
そうすると、
相手の人も
「あ、聴くだけでいいんだな!」
って思い、多分ちゃんと聴いてくれる。
やってみてね👍
コミュニケーションに興味ある人は
まーしゃのとこで学べるよ😊