高校以来だから、もう、知り合って40年近く。
その友達とは、
まあまあ会ってはいないが、
年に1回とか2回とか、
電話で話す。
この私のアメブロをなぜか昔からチェックしていて、
しばらく投稿してそれが止まったり、
投稿しまくったかと思うと
急に止まったりするのを気にして、
「なんかあったの?」と
電話をくれたのだ。
ある意味、
生存確認。
でもさ、
心配してくれてるんだろうけど、
心配はなんていうか言いにくいけど、
信頼してないってことになっちゃうんだよね。
と、私は思っちゃうんだよね。
心配するのはその人の自由で、
「心配させないようにしてくれ」というのは
ちょっと違うんだよね。
ある保育園の園長先生が
親の子どもに対する「心配は虐待です」と
言い切っていた。
よくよく考えてもみればわかるでしょ。
心配するのはなぜ?
なぜ心配なの?
心配されて、どう?
心配してみて、どう?
今日はそんなお話。
だからと言って、
その友達が私を信頼してないかというと
そういうことでもないのだ。
要は、
それをきっかけに、
たまには電話でもしてみるか、
と思い、電話をくれる。
それだけのことなのだ。
なので、
「心配してるよ」とか
「心配になるから・・・」とかじゃなくて、
「ブログ読んでるよ!」とか、
「気になったから電話したよ!元気?」
って、素直に聞いてくれたらいいんだよね。
素直に、正直に、隠さずね。
それを言い合えるのが信頼関係だと思っている。
あまりにも正直にいうのは勇気いることもあるけど、
思ってるより、
世界は優しい。
思ってるより、
思いやりに溢れてる。
思ってるより、
みんな親切。
世界をそんなふうに捉えたら
本当に世界は
優しくて思いやりいっぱいでみんな親切になるんだ。
そっか、
その友達は、
私にそんなことを改めて気づかせてくれたんだね。
ありがとね!