中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言- -8ページ目

中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

8月に入りました。早いもので夏休みがスタートして約二週間。皆さん、勉強は順調ですか。


くどいようですが、手を広げすぎないで下さい。

まだまだ、先は長い。

過去の記事で書いたように、「夏が勝負」「夏で伸びる」というフレーズに縛られると、秋になって偏差値が伸びていないときにものすごくショックを受けます。心配しなくても学力の絶対値は伸びているんです。落ち着いて力をためてスパートしましょう。


さて。

サッカーを巡って嬉しいことと悲しいニュースが一つずつありました。


嬉しいこととは言うまでもなくなでしこジャパンの世界一。

すごい偉業ですよね。今まで正直、女子サッカーというのはほとんど見たことが無かったのですが、朝までテレビにかじりついてしまいました。


見事に世界一になったニュースの時に、テレビ局は街の小学生や、少女サッカーチームでボールを蹴る女の子たちにインタビューしていました。その時にとても多かったのが

「あきらめなければ夢はかなう、ということがわかった」というセリフ。


彼女たち(なでしこジャパン)は今まで勝ったことが無かったチームと戦って勝ちました。それが二度続いた(対ドイツ、対アメリカ)のですから、大げさに言えば「奇蹟」と言っても良い。その「奇蹟」を支えたのが「あきらめない」という気持ちだった。


特に対アメリカ戦、彼我の力の差は大きく(やっている人は、テレビで観ている人間よりも何倍も強烈に「強ええー」と思ったでしょうね)、しかも二度ともリードされた。普通だったら心が折れるところ、「絶対にあきらめない」という気持ちで彼女たちは戦って栄冠を手に入れた…


とても分かりやすいストーリーです。

いや、これ自体にケチをつける気はまったくないんですが…


なでしこジャパン世界一のあと、多くの子供たちが呪文のように「絶対あきらめなければ夢はかなう」と言うのが気になるのは僕だけでしょうか。


もちろん、僕も、子ども時代くらい「行った努力はきちんと結果に結びつく」ということは伝えたいと思います。

大人になると「努力の量」と「結果」の間にはさまざま変数が入ってしまって正比例にはならないですから。


でも、中学受験は「あきらめなければ必ず夢はかなう」ものではないですよね。


概ね、中学受験での第一志望合格率は3割程度。とすると10人中7人は「絶対あきらめ」なくても「夢はかな」わない。そのときに、彼ら彼女らが「なんだよ、嘘じゃん。あんなに頑張ったのにダメだったじゃん」と涙にくれることを考えると、今から胸が痛みます。


いやしかし、今から「頑張っても夢はかなわないかも知れないからね」というのもどうかと思う。


結局、大人は「結果は大切。でも君が積み上げてきた努力の過程がもっと大切」と勝負の前から言うべきなのでしょうね。「どんな結果が出ようと、君がやった努力は決して君を裏切らない。君の力になって、いつか実を結ぶ時が来る」と。


なでしこジャパンのワールドカップ制覇はとても嬉しいニュースだったのですが、あまりに画面に出てくる子たちが「あきらめないこと」=「夢の達成」と言うので、少々心配になってしまいました。


 *  *  *


悲しい話題といえば、松田直樹選手。家族やファンは関係者の必死の祈りも通じず、天国に旅立たれてしまいました。


闘志を前面に出したプレーは、同じDFでも宮本選手や森岡選手のプレースタイルとは少し異質だったような気がします。最終ラインで身体を張ったプレーでピンチを凌いだあと、両手を叩いてチームメイトを鼓舞する在りし日の雄姿が目に浮かびます。自分自身の人生がもし34歳で突如断ち切られていたら… そう考えると、彼の無念さが思われます。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。


 *  *  *


さて。

ようやく本題です。


最近、虫歯が悪くなり歯医者さんに通うようになりました。

歯医者さんといえば、数年前、身を持って「ほめることの大切さ」を知ったことがありました。


僕が通っていた歯医者さんというのは、先生方が何人かいて(数名?)、曜日ごとに担当する先生が違う、という仕組みでした。当初、塾のシフトの関係である曜日に行っていたのですが、時間割が変わったので途中から曜日を変えました。するとそれに連れて先生も代わるわけです。


最初に診てくださった先生は「職人肌」というのでしょう。無駄な口はきかない、というタイプ。聞けばきちんと教えてくださるのですが、治療中に交わされる会話は必要最低限。「痛みます?」とか「はい、歯カチカチさせて」とか。


ところがそれに対して、二番目に診てくれた先生は対照的でとても愛想がいい方でした。

そして愛想がいいだけでなく、ほめてくれるんですね。


えっ、歯医者がほめるってどういうこと?

そうですよね。それはこういうわけです。


その先生から、あなたはブラッシングの仕方がよろしくない、といわれ、正しいブラッシングをすれば歯周病や虫歯はそうとう未然に防げる、と助言されました。そして歯の模型を使ってブラッシングの仕方を教えてくれました。

僕はそのとき初めて知ったんですが、正しいブラッシングって15分くらいしないといけないんですね。それまで「カラスの行水」じゃないですけど、ほんの1分くらい?15分、と聞いた瞬間は「絶対無理!」と思いました。


でも、まあ、試しにやってみます。先生のお薦めどおり、朝は無理なので、夜寝る前にニュースなどを見ながらシャカシャカシャカとひたすらやってみました。


しかし面倒。(こんなに面倒臭いことをやるんだったら、虫歯になったっていいや)なんて不逞なことさえ考えました。


で、一週間後に診療に行きました。

するとその先生が

「ああ、いいですよ、すごく効果が現れてます。頑張ってますね」って言ってくれる。

そして診療の終わり際にも「ブラッシング、面倒ですけど頑張ってくださいね」と声をかけてくれる。

すると心から「ああ、頑張んなきゃ」という気になるんですね。


僕は大人になるまで、個人指導というものを受けたことがありません。

塾予備校もいわゆる全体授業しか、生徒としては受けたことが無かった。

ですから「子供はほめられて伸びる」と言われますが、子供の立場で個人指導の先生にほめられた経験が無かったんです。

でもその時に痛切に思いました。

人はほめられて伸びるんだ」と。


それ以来、僕の指導スタイルの大きな柱になったのが

「いいところを見つけてほめる」ということ。

どんな子でも必ずいいところはあります。それをみつけてほめる。

またどんなにわずかでも、努力したら、頑張ったらとにかくほめる。


子供はだいたいニコニコしてくれますが、中学生や高校生くらいになるとここでニコニコしたら沽券に関わる、と思うのか、「別に」とか「はあ」とか、まあ、かわいくない態度を取る。

でも心の中ではガッツポーズをとっている、と信じています。


僕はつねづね、二人の娘に

「お友達のこと、すごいなあ、えらいなあ、って思ったらそういうんだよ。『××ちゃん、すごいね』って口に出して言うんだ。そうしたらお友達はとっても楽しい気持ちになる」

といっています。


まあ、あんまりどうでもいいことほめられても、馬鹿にされた気になってしまいますが。


もう少し、今の世の中、大人同士もお互いにほめあってもいいような気がします。


次回は国府台女子学院の塾対説明会の報告を。


ちょっと普段のブログの内容からすると唐突感がありますが、横山秀夫さんの「震度0(ゼロ)」を読み終えました。


久しぶりに「小説」と呼ぶにふさわしい作品にぶつかったぞ、という感じで、時を忘れてページをめくりました。


舞台はN県警察本部。
県警の要である警務課長―仕事ができ、上役から頼りにされ、部下から慕われる警察官の鑑のような人物として描かれているのですが―が突如、失踪します。主な小説の登場人物は、県警本部長、警務部長、警備部長、刑事部長、交通部長、生活安全部長の6人。最初、この6人は、一様に失踪に驚きます。次に訝しみ、そして時がたつにつれ、その警務課長の失踪という事件を何とか自分の出世と保身に有利な材料に変えられないか、謀をめぐらします。そのパワーゲームぶりたるや!作者は場面に応じてそれぞれ6人の人物の視点から物語を進めていくのですが、綿密な取材に基づいているのでしょう、警察組織がどのようなものか、そこに生きる人々が何を考え何を恐れているのか、をものすごいリアリティで描き切っています。6人の思惑はある一点に向けて収斂していく。そして意外性のある(と僕は思いました)結末。全体を通じてやりきれないストーリーですが、最後の最後、わずかに一筋の光明を感じることが出来ます。


登場人物全員が全員、自分の出世と保身しか考えていない。いや、出世はまだいいですね、前に進むパワーが源泉ですから。「保身」は「出世狙い」に比べるとはるかに後ろ向きですし、思考が暗い。


矛盾するようですが、「時の経つのも忘れてページをめくった」のですが、あまりにそこに書かれていることが生々しくて、読むのが辛くなりました。


この小説は、会社勤めしたことがない人が読まれても、今一つピンと来ないかもしれません。「組織」や「会社」の中で生きる苦労。自分のプラスにすることが無理ならば、何とかしてライバルたちのマイナスに持っていけないか、と考える思考法。瞬時に相手の手の内のカードの数字の大きさを量り、自分の手持ちのカードの大きさと比較する判断力。サラリーマンなら誰もが身に覚えがある独白ばかりがこれでもか、と続きます。


でも、ぜひ主婦の方にも読んでいただきたいと思います。「男の世界」、といっても義理や人情の世界ではありません。陰謀と計略と、情実の世界、その中でご主人は生きている、ということを知っていただくのも決してマイナスにはならないかな、と。


  *  *  *


学校でも、パワーゲームやいがみ合い、足の引っ張り合いはもちろんあります。それは人間の集団ですから、ウマの合う合わないはありますし、「校内政治好き」の寝業師もいます。


僕は一時、塾講師をする前ですからもう四半世紀も前ですが、私立中高に勤めていたことがありました。ほんの数年間ですが、そこではずいぶんいろいろな軋轢やトラブルも目にしました。これだけ経てば時効だと思うのでばらしちゃいますか、そこでは理事と縁戚関係にあるPという教師がいて、この人が簡単に言うと「いじめっ子」だったんですね。年齢は50代後半、公立中学校で教務主任まで勤めた人ですから実務能力は確かにある。授業も上手い。教頭確実、といわれていたそうですが、昇進する直前に、赴任してきた女性校長と折り合いが悪くなり辞表を叩きつけ辞めてしまった。そしてその私立に来た、という経緯です。(本人は「P先生、公立中学校辞められたんだったら是非うちに来てください、と理事会から三顧の礼で迎えられたら断れねえよな」と、ことあるごとに言っていました。)


この人、もう勤め人としてのゴール間近ですから、校内でこれ以上、出世しようなんていう欲は持っていない。理事や評議員になって理事会の末席に座る、なんていうこともまるで考えていない。そういう意味では派閥のバランスを崩したりするようなことはしないから「安全パイ」。ただ、良くも悪くも存在感があるし、敵に回すと厄介だから自然と周囲が取り入るようになる。自然、ある種のキャスティングボードみたいな存在になっていく。


もう歳も歳だし、「我慢する」ということをしない。ひたすら「自分にとって快か不快か」だけが行動基準で、「不快だ」と思ったら目の前からその現象を消去しないと気がすまない。そういう意味では子供のようなところがありました。それから自分の出世には興味が無いから周りとの摩擦を全く恐れず、だから「筋論」に固執するようなところもありましたね。それがなあなあでことを済ませたい周囲にはひどく邪魔だったりする。


体格もよく、大きな声で磊落に話す。授業は上手いから生徒の受けもそんなに悪くない。そうそう、休講の先生の代打で授業に入ったりするじゃないですか、そうすると職員室に帰ってきて部屋中に響き渡る大声で「いやあ、困ったなあ、S先生(休んだ先生)じゃなくて、明日からずーっとオレがいい、とか子供たち言ってるよ」なんていうわけです。当時の教務部長はP先生より10歳近く年下で、言いたいことも言えない。「おい、部長、どうするよ。明日から時間割変えるか?オレ、入ってやってもいいぞ」なんて絡むんですね。部長は困惑したような顔をして作り笑いを浮かべて「でもP先生には他に大事なお仕事があるでしょうから」なんて言う。それを聞いている20代の若手の教師たちは顔を見合わせて(ダメだ、こりゃ)みたいな表情を浮かべる… 年に何度もある光景でした。


で、この人の常套手段。嫌いな教師がいますよね。その先生を職員会議の席でいたぶる。それが「…と、生徒が言ってる」と伝聞形で文句を言うんです。例えば「おい、O先生よ、あんたその髪型なんとかならんのか。もう少し短くするとか。生徒がO先生だらしなくて嫌だ、授業受けたくないって言ってるぞ」とか「Kさん(女性の先生)、あんた香水つけすぎだぞ。生徒がK先生とすれ違うだけで気持ち悪くなるって訴えに来たよ」とやるわけです。当然、言われたほうはいきり立ちますね。「誰がそういってるんですか」と反論すると「いや、それは絶対明かさない約束になってるから言わん」という。


言われた方は頭にきますけど、まさかそんなこと(髪型とか香水とか)で校内中の生徒つかまえて「ねえ私、臭い?」なんて聞けないじゃないですか。だから言われた方が泣き寝入りするしかない。それが分かってて言うんです。巧妙というか狡猾というか。


あとこの人は「根回し」必須の人でした。
会議でこの人が知らないことを言うと本気で「おい、オレはそんなこと、何も聞いてないぞ!」と烈火のごとく怒る。だけど、会議って基本的には何も聞いてない(話してない)ことを話し合う場でしょ?最初は意味不明でした。だからすっとぼけているんじゃなくて「はい、もちろん、今はじめて申し上げるんで、どなたもお聞きになってないと思います」なんてシレっと答えてそれがまた怒りを買って。


家に帰って父に「会議って、そもそもだれも聞いてないことを話す場じゃん」なんて晩酌しながらこぼすと、父は笑いながら「いやあ、日本の会議はそうじゃないんだよ。会議の前にキーパーソンに了解取り付けておくんだ。それで会議は異議が無いことを確認する。それが日本的な会議だよ」と言っていました。(へえー、そんなもんか…)と勉強になったことを覚えています。


このP先生にはずいぶん僕も絡まれました。いや若手の教師で絡まれなかった人なんていないんじゃないかな。P先生のいじめに耐えられずやめていった先生も一人や二人じゃなかったと記憶しています。でも、たった数年間ですが、このP先生という人物と対峙してずいぶん、ある意味鍛えられた感じがします。人の記憶というのはいい加減というか便利というか、25年近く経った今はP先生の嫌な部分はどんどん忘れて行き、いい思い出だけが濾紙を通したように残っていることに気づきます。


  *  *  *


塾時代、というと、陰謀や策略の記憶よりも、生徒募集にまつわる苦労の思い出が多いです。


そもそも、塾講師、というのは、人間として、いや人間として、という表現が障りがあるなら「男として」肝心な部分が欠落している人種のような気がします。


それは「出世欲」。「出世欲」という言葉があまりに手あかがついているのならば「競争社会を生き抜く力」と言い換えてもいいかもしれません。出世欲や競争する力が余り無いから計略やはかりごとなども無縁といえば無縁。


塾講師になるのは学生時代にアルバイトとして塾講師をしてそのままハマってしまった、という人が一番多いと思うのですが、次に多いのが大学卒業後、司法試験や税理士・会計士試験の勉強をする傍ら、生活費稼ぎに塾の教壇に立ち、そしてそのままそれを本職にしてしまった人でしょう。後者の「資格試験浪人組」の中には、一度会社勤めをしたのだけど半年とか1年で辞めてしまって受験生になった人がかなりの割合でいます。その勤めた会社も超がつくような「優良企業」であることが珍しくない。


営業成績を上げ、上司の覚えをめでたくし、部下の面倒を見、係長→課長→部長→役員と社内のヒエラルキーを登っていく。しかしピラミッドのように上に行くほどそのピラミッドの断面積は狭くなっていきますから、同期の中で抜け出なければならない。そのためにはフェアプレーオンリー、というわけにはいかないでしょう。反則すれすれのこともしなくてはならないかもしれません。そうしなければライバルに先んじられるだけ…


そんなことを何十年もやっていくのは絶対オレには無理だ、と最初の何か月かで白旗をあげちゃうんですね、こういう人たちは。そして「とりあえず、割りがいいから塾講師でもやるか」と塾の非常勤講師に応募する。ところがその先、思いもよらない展開が待っている。


それは子供たちとの出会いです。

子供に勉強を教えるのは本当に楽しい。みな、目をキラキラさせて自分の授業を聞いてくれる。授業が終わると教卓周りに「先生、先生」と寄ってくる。「先生、どこのプロ野球のチームが好き?」「先生、彼女いる?」「先生どこの中学出身?」特に若い先生はそれだけで人気です。

そして、わからなかった問題がわかるようになった時のあの子供たちの笑顔。
(自分のやりたかったことはこれだ!)と雷に打たれたように思ってしまうんですね。そうすると残念ながら、目指している試験は受かりません。試験勉強に費やすべき時間を、教材の作成や宿題の添削に割いてしまう。どんどんどんどん、子供たちのために自分の余った時間を費やしてしまうから。


僕の周りでも、塾講師から国家試験に受かった人は、みな、はっきり言って「割り切り型」の人たちです。プラスアルファのことは決してしない。それを非難しているのではありません。そうでなければ目標は成就できない、ということを言いたいのです。


前者の「学生時代のアルバイトがそのまま本職になっちゃった人」も、就活が迫ってきて、どこかで「社会」と向き合わなければならなくなった時に、「競争社会」に背を向けて塾講師になってしまった人がいっぱいいます。だから「競争から下りてしまった」という意味では前者・後者は大きな差はないのです。


  *  *  * 


しかし、塾も企業です。大きくなれば管理部門も総務や人事も必要になってきます。僕の前勤めていた塾も、1990年代前半に急成長を遂げ、数年間で生徒数も売り上げも何倍にも膨れ上がりました。大きくなれば、立ち上げ時のように、貸しビルの2Fと3Fで塾長と講師数名で回していくようなわけには行きません。職務も細分化されます。僕のいた塾では、本部は、生徒管理やシステムを構築したり運営する「管理部門」、ビル管理会社や不動産会社と交渉し教室の賃貸契約を司ったりロジスティクス(消耗品の発注や在庫管理など)を担う「総務部門」、広告を担う「広報部門」、採用や人事管理、研修を行う「人事部門」、そして時間割の作成や教材の開発、テストの管理を行う「教務部門」。大きく分けるとその五部門に分かれていました。


そのそれぞれの部門の長に誰を据えるか。本来、そういった人事や管理や総務のプロを余所からとってくればいいんでしょうね。しかし、急激に大きくなりすぎて外部の人を引っこ抜いてくる時間がない。外部の人って言ったって、氏素性が不明などこの馬の骨ともわからない人物を次々入れるわけには行かない。紹介に頼ってもなかなかいい人は現れない。そうすると勢い、生え抜きの講師の中からそういった部門の長を選ぶことになる。向き不向きなど二の次です。とりあえず草創期から同じ釜の飯を食っているから気心が知れている、という理由でそういう部門の責任者に据える。


でも据えられた方はたまったもんじゃありません。「本部勤務」と聞くと何やら栄転のように聞こえますが、各教場にいた講師にとっては「地獄への片道切符」。だってそういうことがそもそもやりたくなくて、子供たちに囲まれて、子供たちの勉強を見てあげたくて塾講師になったのに、これじゃ「普通の会社員」じゃないか。

実際、そう言って、それを機にさっさとやめていった先生もたくさんいました。

それでも90年代前半は良かったんです。どの塾も、倍々ゲームのように生徒数は増えていきましたから。このころは進学塾の「花の時代」と言えるでしょう。むちゃくちゃ忙しかったですけど企業体が大きくなっていく過程ですから忙しくても前向きですよね。お給料もなんだか身に覚えのない手当がいっぱい付いていてずいぶん懐を温かくしていただきました。


しんどかったのは97年ですか、山一や拓銀が破たんし大不況に襲われた年、あの辺りから以降ですね。どうあがいても生徒が増えない。6年生人口が年々減る上に、不況で受験率が下がったわけですから泣き面に蜂、状態。限られたパイをいくつもの塾で奪い合うわけですからそれはもう、大変です。


「本部上がり」にならず各教室の責任者になった先生たちも、来る日も来る日も、生徒減、売り上げ減と戦う毎日。月に一度の教室長会議では、生徒の退塾率やシーズン講習の申込率、オプション講座の受講率が各教場ごとの一覧表になって配布され、数字の悪い教室の長は罵倒される。こういう場で何を言っても駄目ですね。じっと下を向いているしかない。僕も経験がありますが、こういう場での、最後締めのセリフって決まってるんです。一番偉い人か、会議を仕切っている人が「結局、本当にいい授業をしていれば自然に生徒は集まるんですよ」と言って終わる。しかし、数字の悪い校舎の人間にとってこれを言われるほど屈辱的なことはない。「お前の授業が下手くそだから生徒が減るんだよ」と言われているのに等しいわけで。


退塾者が出れば各教室は、本部に事情とともに辞めた生徒の生徒番号や氏名を知らせなくてはならない。そうしないと次の月の費用が引き落とされちゃいますからね。で、報告を上げるわけですが「成績が上がらないため」「生徒指導に物足りなさを感じ転塾のため」なんて報告できないから、やたらと「転居」ばっかり。「転居」と報告すれば失点にはなりませんから。でも管理部門の人もお見通し。いつか管理部門の人と飲んだら、笑いながら「うちの塾生に限って日本の人口移動率の何十倍もの数で引っ越しが行われている」と言っていました。浅はかな嘘はすぐばれるもので、管理部門の人間が退塾した家庭にきちんと連絡を入れ、本当の退塾理由を把握していたんですね。


僕はいまだにこのころの辛かった会議の夢を見ます。うなされて目を覚ますとびっしょり寝汗をかいてたりして。「うなされたてわよ」なんて奥さんに言われます。


塾の先生はひ弱です。不動産や車のセールスや代理店の飛び込み営業などをやっている方に比べると、大人と比べた子供くらいひ弱。だからそういう、数字が飛び交う会議に耐えられないです。いくら頑張っても営業成績とか、達成率とかの数字になじめない。結果、塾講師をやめる人がどうしても出てきます。といって、やめたはいいけど今さら会社勤めもできない。何しろ教えることしかやってこなかったわけで。そこでそういう人々が塾の時間講師になる。あるいはプロの家庭教師になる。このようにしてプロ家庭教師が完成するわけです。
  
 *  *  *


今は気楽です。いや「気楽」というと生徒さんたちに失礼ですね。今でも担当生徒の成績がうまく上げられなくて悩むことはあります。しかし、売り上げや生徒数の一覧表を見てため息をついたり、胃が痛くなることはありません。失ったものもたくさんある―安定とか、社会人としての信用とか―ものの、でもやっぱり、「教える職人」が自分には向いているのだ、と再自覚します。


なんだか今日は、変なブログになってしまいました。

「塾講師が塾をやめるとき」そんなタイトルをつけましょうか。それとも「プロ家庭教師はこうしてプロ家庭教師になった」がいいかな。


「震度0」に変にインスパイアされて、それこそつれづれなるままに来し方を綴ってしまいました。また次回からは塾対説明会報告や勉強法の話に戻りましょうね。


あ、そうそう。soyokaze1128でツイッターのアカウントを持っています。

http://twitter.com/#!/soyokaze1128


ただ、僕はあの140字限定のツイッターというツールの有効な活用法が今ひとつよくわからない。「今日も暑いな」とか「今渋谷で買い物中」とかツイートしたって仕方がないですものね。芸能人じゃあるまいし。そこで、読んだ本、観たDVDの短評を綴っています。受験とはさしあたり関係がないので、このブログをご覧いただいた人が読まれてもつまらなく感じるかもしれませんが。


「なんか面白い本ないかな」「次に何のDVD借りようかな」と思っている方の参考になれば幸いです。ただ、140字と制限がきついため、持って回った言い回しができません。つまらないものはストレートにつまらない、と書いてあります。そんな直截的な表現がお好きでない人は、ご覧にならない方がいいかも、です。書いた自分が読み直しても「偉そう」と思ってしまうくらいですから。


まだ6月の終わりから7月にかけて足を運んだ塾対説明会の内容がアップできていません。できるだけ近々、上げようと思います。本格的な受験に関する話題はそれまで少々、お待ち下さい。

いよいよ明日から夏休みですね。


今年は梅雨も早々に明け、「節電の夏」がどの程度厳しいものになるのか、戦々恐々としている人も多いのではないでしょうか。


しかし、ここ数日、台風が来る前ですが、猛暑の中でも需給バランスは使用電力が供給力の90%以下で収まっています。すごいですよね。本当にこのあたり、日本人というのは生真面目な民族だな、と思います。


節電といえば、日能研が小6の講習を7:20スタートにしました。電力需要のピークの14時~16時をクローズして節電に協力しよう、という意図のようですが、このシフトで一番ダメージを受けているのは先生方ではないでしょうか。いや、ダメージって言っても何か損をするとかではないのですが、このブログでも何回か書いていますが、とにかく塾講師というのは夜行性。一般の方と3・4時間生活時間がずれていますから、シーズン講習は本当にしんどい。


僕が前に勤めていた塾は、普段の日は小学生と中学生を縦組み(小学生の授業が終わった後に中学生の教室に入る、という勤務体制のこと)をしていたので、中学生の補習が終わって職員室に帰ってくるのは10時。ちょっと生徒の質問に付き合ったりしていると10時30分。そこから休んだ生徒の家に電話かけをしたり、休んだ生徒のプリントを受付に渡したり、なんてしているとあっという間に11時。で、教務日誌を書き、一服してコーヒー飲んで机上整理して、終電に乗って帰宅、という毎日でした。


家に帰ると1時ですから、そこから入浴して食事して、新聞読んだりするとあっという間に3時。ビデオ(当時は)を見たりパソコンで気になるサイトをチェックしてたりすると、今の時期は夜が白々とあけてきます。新聞配達のバイクの音が聞こえてきて(やばいやばい、さすがに寝なきゃ)なんて。その分、朝は10時くらいまで寝ていたかな。


前の塾では身分は時間講師ではなく専任、つまり正社員でしたから、授業の直前に出勤すればいいというわけではありません。基本形は12時30分に打ち合わせ開始。週に2度、朝9:00に受付応対のサポートで入っていました。
(この週2度の当番もきつかった!)


それが、シーズンの講習になると、7時30分打ち合わせ開始、その前に管理職は「打ち合わせ前の打ち合わせ」があり、それが確か7時15分だったかな、いずれにせよ、6時15分ころには家を出ていました。

つまり普段とシーズン講習期間と、下手したら「ベッドに入る時刻」と「家を出る時刻」が同じになってしまうくらい、180度変わってしまう。
しかも、シーズンの講習会の序盤というのは、夕方6時ころ教室から職員室に帰ってきたからといっててすぐに上がれる(帰れる)わけではない。初めて講習から参加したいわゆる新規生のご家庭に様子の報告の電話をしたり、翌日の授業の補助プリントを作成して印刷したりしていると、すぐに10時くらいになってしまう。早く帰れる、といっても普段より2時間程度、つまり1時に帰っていたのが11時になる程度ですから、あんまり変わらない。


夏期講習をするたびに確実に寿命が縮む、と思っていました。


今は社員ではないですし、何よりも子供ができて、生活時間が一般の人に限りなく近づいたのは大きいですね。去年なんか娘のラジオ体操についていって皆勤したくらいですから。でもそんな話を職場ですると、独身の先生には「いやー、6時30分に公園で踊ってる(おいおい、踊ってないヨ)なんて信じられない。オレには絶対無理です」と言うけれど。


だから、今回の日能研の時刻変更は、先生や教務の方にとってはショックな出来事だったのでは?特に教務の方は、7時20分から1コマ目が始まるのだったら6時30分には出勤しないとならないですものね。でも5年生は夕方から夜の授業でしょ。おかわいそう… どうかご自愛下さい。


先生に比べれば、子供は何しろ、それこそラジオ体操出てそのまま行けばちょうどいいくらいだから、そんなに大変ではないでしょう。お母様方も大変とはいえ、まあご主人も出勤なさるでしょうし。ただ、普段なら学校給食があるからいいですけど、夏休みはお弁当もちになるからその手間はキツイですね。


ただ、僕自身は、去年までのような午後始まって夜までの講習時間よりこの方がいいと思います。サピックスの小6も午後始まりですが、どうしても講習が午後開始の塾は、生活が夜型になりがちですよね。下手をしたら朝、寝坊ができるので小学生なのに2時3時まで起きているケースさえもあります。これはやっぱり良くない。成長ホルモンの分泌曲線はは22時くらいから急に上昇カーブを描き、2時ころがピークになるらしい(ぬかたクリニック 額田 成先生のサイト http://www.kobekids.net/shincho/1/1-01.html  を参照させていただきました)ので、早寝早起きが良いに決まっています。


  * * *


本題に入りましょう。どうも僕の文章は「まくら」が長くなりがちです。すみません。

「夏休みの過ごし方」ですが、一言で言えば「どれだけ絞り込むことができるか」につきます。今流行の言葉で言うと「選択と集中」ですね。


夏期講習会は、1コマが60分で6コマとか、70分で5コマ、みたいな時間割が多いですね。5コマの場合は例えば「算、算、国、理、社」みたいな感じ。で、講習会用のテキストは「第一日目 計算の決まりと工夫」「第二日目 割合(1)」…「第五日目 速さ(1)」…「第9日目 場合の数、整数」というような構成になっていることが多い。


すると、「割合」も(1)で分配算・相当算・倍数算」、(2)で「損益売買、食塩水」というように分かれています。それぞれの問題にはA,B,C(あるいは基本・応用・発展)の3つくらいの難度の問題が収録されています。となると、ある類型の問題で、各生徒にぴったり合う難度の問題って、せいぜい1・2題しか入っていないんですよね。


食塩水を例に取りましょう。Aレベルは「水110gに食塩15gを加えると□%の濃さの食塩水になります」みたいな超基礎的な問題が収録されている。Cレベルは、蒸発させたり混ぜたり、「等量交換」などの難度の高い問題が収録されている。「食塩水」というカテゴリーでは合計10題前後が収録されている。しかし、そのうちA君ならA君にぴたりと合う(解いて有効、という意味)問題はわずか1・2題だったりする。他の問題は難しすぎて必要ないか、簡単すぎて意味がない。


それが全領域にわたっているのです。


すると、夏休みが終わった時、どうなるか。

「僕は、××と□□と▲▲がやっぱり苦手だ、という事が分かった」で終わってしまう。本当は、例えば食塩水の等量交換の問題が解けない、と分かったら、いろんな問題集から類題を選んで解き「よし、この手の問題は大丈夫」という「ヒットゾーン」を広げることが理想です。しかし多くの生徒はそこまで手が回らない。

「いつかは××をやらなくちゃ」と思っているうちに入試になってしまった、という受験生は実は山ほどいるんです。


さらに怖い例。

夏期講習会は、授業時間が細切れになっているせいもあり授業中に問題を解く時間を取らない先生(塾)が多い。

普段の授業の時は、例題をやり、類題を出し、何分間か解く時間を与えた後にその解説。さらに練習問題を出題し、やはり解く時間を与えて、その後に解説、というパターンで進むのですが、シーズン講習はあらかじめテキストを渡していることもあり、基本的には家で解いてきなさい、という場合が多い。


最初のうちこそ勢い込んで予習をするものの、講習の中盤から後半にかけて予習に時間が割けなくなる。
しかも宿題に追われ、授業で取り上げた問題の解きなおしもできない。(ついでに言えば、塾で出される夏休み中の宿題も、テキストと同じような構成になっていて「広く浅く」取り上げるタイプのプリントばかり)
上に書いたような類題をやりこむこともできない。


「ない、ないづくし」です。


すると、こういうサイクルになります。

朝家を出て塾に行く→塾の授業の内容を一生懸命ノートに取る(予習していないので、授業で取り上げる問題の勘所もわからない)→ひたすら一日、ノートをとりまくる(そのときは後で解き直しをしようと思う)→家に帰る→宿題をやる→四科合わせると膨大な量になり、それだけで深夜になる→眠くなる→耐え切れず寝る→朝になる…


夏休みが終わったあと、すごーく立派な授業用ノートは手元に残ります。それを見ると(あー、夏休み頑張ったなー)と思えます。


しかし。残酷なことを言うようですが、こういう夏を過ごした生徒は、夏休みの前と後でほとんど学力が伸びていません。だって、「書写」の授業を40日間受けていたようなものですから。


「あんなに夏休みの間中、いろんな講座をとったのに」
「あんなに毎日、夜遅くまで頑張ったのに」
秋になってそう嘆いている受験生を何人も見てきました。


ではどうするか。


手を広げすぎないことです。絞り込むこと

講座もとり過ぎないこと。えっ、そんなこと言ったってもう申し込みを済ませちゃった?
うーん、キャンセルは出来ませんか。現金での返金が無理だとしたら二学期の講座に振り替えるとか。

最悪、休む(欠席する)勇気さえも必要だと思います。


野球に例えれば、「少なくともここに投げられたこの球種のボールは、きちんとヒットにできる」という「ヒットスポット」みたいなものを確立すること。そしてそれを少しずつ増やしていくこと。増やす過程で、以前ヒットに出来たゾーンのボールを打ち損じるようになっては意味がありません。しつこいぐらいに復習して、一度打つことの出来たゾーンのボールは目をつむってでもヒットにできるよう、保つこと。


「外角低めのスライダーはこう打つんだよ。内角高めにツーシームがきたらこう打つんだ。そして真ん中低めのフォークボールはこうさばく」

そんな打ち方のカタログをパラパラと見せられて、打てるようになる選手はいません。イチロークラスの天才ならまた別かもしれませんが。

一般の打者は、バッティング投手にお願いして、何十球も投げてもらって打つコツを体得するんだと思うんですね。勉強も基本的には同じ、と思います。


嫌というほど繰り返すこと。あれこれ手を出しすぎないこと。

それに尽きると思います。