ちょっと普段のブログの内容からすると唐突感がありますが、横山秀夫さんの「震度0(ゼロ)」を読み終えました。
久しぶりに「小説」と呼ぶにふさわしい作品にぶつかったぞ、という感じで、時を忘れてページをめくりました。
舞台はN県警察本部。
県警の要である警務課長―仕事ができ、上役から頼りにされ、部下から慕われる警察官の鑑のような人物として描かれているのですが―が突如、失踪します。主な小説の登場人物は、県警本部長、警務部長、警備部長、刑事部長、交通部長、生活安全部長の6人。最初、この6人は、一様に失踪に驚きます。次に訝しみ、そして時がたつにつれ、その警務課長の失踪という事件を何とか自分の出世と保身に有利な材料に変えられないか、謀をめぐらします。そのパワーゲームぶりたるや!作者は場面に応じてそれぞれ6人の人物の視点から物語を進めていくのですが、綿密な取材に基づいているのでしょう、警察組織がどのようなものか、そこに生きる人々が何を考え何を恐れているのか、をものすごいリアリティで描き切っています。6人の思惑はある一点に向けて収斂していく。そして意外性のある(と僕は思いました)結末。全体を通じてやりきれないストーリーですが、最後の最後、わずかに一筋の光明を感じることが出来ます。
登場人物全員が全員、自分の出世と保身しか考えていない。いや、出世はまだいいですね、前に進むパワーが源泉ですから。「保身」は「出世狙い」に比べるとはるかに後ろ向きですし、思考が暗い。
矛盾するようですが、「時の経つのも忘れてページをめくった」のですが、あまりにそこに書かれていることが生々しくて、読むのが辛くなりました。
この小説は、会社勤めしたことがない人が読まれても、今一つピンと来ないかもしれません。「組織」や「会社」の中で生きる苦労。自分のプラスにすることが無理ならば、何とかしてライバルたちのマイナスに持っていけないか、と考える思考法。瞬時に相手の手の内のカードの数字の大きさを量り、自分の手持ちのカードの大きさと比較する判断力。サラリーマンなら誰もが身に覚えがある独白ばかりがこれでもか、と続きます。
でも、ぜひ主婦の方にも読んでいただきたいと思います。「男の世界」、といっても義理や人情の世界ではありません。陰謀と計略と、情実の世界、その中でご主人は生きている、ということを知っていただくのも決してマイナスにはならないかな、と。
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学校でも、パワーゲームやいがみ合い、足の引っ張り合いはもちろんあります。それは人間の集団ですから、ウマの合う合わないはありますし、「校内政治好き」の寝業師もいます。
僕は一時、塾講師をする前ですからもう四半世紀も前ですが、私立中高に勤めていたことがありました。ほんの数年間ですが、そこではずいぶんいろいろな軋轢やトラブルも目にしました。これだけ経てば時効だと思うのでばらしちゃいますか、そこでは理事と縁戚関係にあるPという教師がいて、この人が簡単に言うと「いじめっ子」だったんですね。年齢は50代後半、公立中学校で教務主任まで勤めた人ですから実務能力は確かにある。授業も上手い。教頭確実、といわれていたそうですが、昇進する直前に、赴任してきた女性校長と折り合いが悪くなり辞表を叩きつけ辞めてしまった。そしてその私立に来た、という経緯です。(本人は「P先生、公立中学校辞められたんだったら是非うちに来てください、と理事会から三顧の礼で迎えられたら断れねえよな」と、ことあるごとに言っていました。)
この人、もう勤め人としてのゴール間近ですから、校内でこれ以上、出世しようなんていう欲は持っていない。理事や評議員になって理事会の末席に座る、なんていうこともまるで考えていない。そういう意味では派閥のバランスを崩したりするようなことはしないから「安全パイ」。ただ、良くも悪くも存在感があるし、敵に回すと厄介だから自然と周囲が取り入るようになる。自然、ある種のキャスティングボードみたいな存在になっていく。
もう歳も歳だし、「我慢する」ということをしない。ひたすら「自分にとって快か不快か」だけが行動基準で、「不快だ」と思ったら目の前からその現象を消去しないと気がすまない。そういう意味では子供のようなところがありました。それから自分の出世には興味が無いから周りとの摩擦を全く恐れず、だから「筋論」に固執するようなところもありましたね。それがなあなあでことを済ませたい周囲にはひどく邪魔だったりする。
体格もよく、大きな声で磊落に話す。授業は上手いから生徒の受けもそんなに悪くない。そうそう、休講の先生の代打で授業に入ったりするじゃないですか、そうすると職員室に帰ってきて部屋中に響き渡る大声で「いやあ、困ったなあ、S先生(休んだ先生)じゃなくて、明日からずーっとオレがいい、とか子供たち言ってるよ」なんていうわけです。当時の教務部長はP先生より10歳近く年下で、言いたいことも言えない。「おい、部長、どうするよ。明日から時間割変えるか?オレ、入ってやってもいいぞ」なんて絡むんですね。部長は困惑したような顔をして作り笑いを浮かべて「でもP先生には他に大事なお仕事があるでしょうから」なんて言う。それを聞いている20代の若手の教師たちは顔を見合わせて(ダメだ、こりゃ)みたいな表情を浮かべる… 年に何度もある光景でした。
で、この人の常套手段。嫌いな教師がいますよね。その先生を職員会議の席でいたぶる。それが「…と、生徒が言ってる」と伝聞形で文句を言うんです。例えば「おい、O先生よ、あんたその髪型なんとかならんのか。もう少し短くするとか。生徒がO先生だらしなくて嫌だ、授業受けたくないって言ってるぞ」とか「Kさん(女性の先生)、あんた香水つけすぎだぞ。生徒がK先生とすれ違うだけで気持ち悪くなるって訴えに来たよ」とやるわけです。当然、言われたほうはいきり立ちますね。「誰がそういってるんですか」と反論すると「いや、それは絶対明かさない約束になってるから言わん」という。
言われた方は頭にきますけど、まさかそんなこと(髪型とか香水とか)で校内中の生徒つかまえて「ねえ私、臭い?」なんて聞けないじゃないですか。だから言われた方が泣き寝入りするしかない。それが分かってて言うんです。巧妙というか狡猾というか。
あとこの人は「根回し」必須の人でした。
会議でこの人が知らないことを言うと本気で「おい、オレはそんなこと、何も聞いてないぞ!」と烈火のごとく怒る。だけど、会議って基本的には何も聞いてない(話してない)ことを話し合う場でしょ?最初は意味不明でした。だからすっとぼけているんじゃなくて「はい、もちろん、今はじめて申し上げるんで、どなたもお聞きになってないと思います」なんてシレっと答えてそれがまた怒りを買って。
家に帰って父に「会議って、そもそもだれも聞いてないことを話す場じゃん」なんて晩酌しながらこぼすと、父は笑いながら「いやあ、日本の会議はそうじゃないんだよ。会議の前にキーパーソンに了解取り付けておくんだ。それで会議は異議が無いことを確認する。それが日本的な会議だよ」と言っていました。(へえー、そんなもんか…)と勉強になったことを覚えています。
このP先生にはずいぶん僕も絡まれました。いや若手の教師で絡まれなかった人なんていないんじゃないかな。P先生のいじめに耐えられずやめていった先生も一人や二人じゃなかったと記憶しています。でも、たった数年間ですが、このP先生という人物と対峙してずいぶん、ある意味鍛えられた感じがします。人の記憶というのはいい加減というか便利というか、25年近く経った今はP先生の嫌な部分はどんどん忘れて行き、いい思い出だけが濾紙を通したように残っていることに気づきます。
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塾時代、というと、陰謀や策略の記憶よりも、生徒募集にまつわる苦労の思い出が多いです。
そもそも、塾講師、というのは、人間として、いや人間として、という表現が障りがあるなら「男として」肝心な部分が欠落している人種のような気がします。
それは「出世欲」。「出世欲」という言葉があまりに手あかがついているのならば「競争社会を生き抜く力」と言い換えてもいいかもしれません。出世欲や競争する力が余り無いから計略やはかりごとなども無縁といえば無縁。
塾講師になるのは学生時代にアルバイトとして塾講師をしてそのままハマってしまった、という人が一番多いと思うのですが、次に多いのが大学卒業後、司法試験や税理士・会計士試験の勉強をする傍ら、生活費稼ぎに塾の教壇に立ち、そしてそのままそれを本職にしてしまった人でしょう。後者の「資格試験浪人組」の中には、一度会社勤めをしたのだけど半年とか1年で辞めてしまって受験生になった人がかなりの割合でいます。その勤めた会社も超がつくような「優良企業」であることが珍しくない。
営業成績を上げ、上司の覚えをめでたくし、部下の面倒を見、係長→課長→部長→役員と社内のヒエラルキーを登っていく。しかしピラミッドのように上に行くほどそのピラミッドの断面積は狭くなっていきますから、同期の中で抜け出なければならない。そのためにはフェアプレーオンリー、というわけにはいかないでしょう。反則すれすれのこともしなくてはならないかもしれません。そうしなければライバルに先んじられるだけ…
そんなことを何十年もやっていくのは絶対オレには無理だ、と最初の何か月かで白旗をあげちゃうんですね、こういう人たちは。そして「とりあえず、割りがいいから塾講師でもやるか」と塾の非常勤講師に応募する。ところがその先、思いもよらない展開が待っている。
それは子供たちとの出会いです。
子供に勉強を教えるのは本当に楽しい。みな、目をキラキラさせて自分の授業を聞いてくれる。授業が終わると教卓周りに「先生、先生」と寄ってくる。「先生、どこのプロ野球のチームが好き?」「先生、彼女いる?」「先生どこの中学出身?」特に若い先生はそれだけで人気です。
そして、わからなかった問題がわかるようになった時のあの子供たちの笑顔。
(自分のやりたかったことはこれだ!)と雷に打たれたように思ってしまうんですね。そうすると残念ながら、目指している試験は受かりません。試験勉強に費やすべき時間を、教材の作成や宿題の添削に割いてしまう。どんどんどんどん、子供たちのために自分の余った時間を費やしてしまうから。
僕の周りでも、塾講師から国家試験に受かった人は、みな、はっきり言って「割り切り型」の人たちです。プラスアルファのことは決してしない。それを非難しているのではありません。そうでなければ目標は成就できない、ということを言いたいのです。
前者の「学生時代のアルバイトがそのまま本職になっちゃった人」も、就活が迫ってきて、どこかで「社会」と向き合わなければならなくなった時に、「競争社会」に背を向けて塾講師になってしまった人がいっぱいいます。だから「競争から下りてしまった」という意味では前者・後者は大きな差はないのです。
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しかし、塾も企業です。大きくなれば管理部門も総務や人事も必要になってきます。僕の前勤めていた塾も、1990年代前半に急成長を遂げ、数年間で生徒数も売り上げも何倍にも膨れ上がりました。大きくなれば、立ち上げ時のように、貸しビルの2Fと3Fで塾長と講師数名で回していくようなわけには行きません。職務も細分化されます。僕のいた塾では、本部は、生徒管理やシステムを構築したり運営する「管理部門」、ビル管理会社や不動産会社と交渉し教室の賃貸契約を司ったりロジスティクス(消耗品の発注や在庫管理など)を担う「総務部門」、広告を担う「広報部門」、採用や人事管理、研修を行う「人事部門」、そして時間割の作成や教材の開発、テストの管理を行う「教務部門」。大きく分けるとその五部門に分かれていました。
そのそれぞれの部門の長に誰を据えるか。本来、そういった人事や管理や総務のプロを余所からとってくればいいんでしょうね。しかし、急激に大きくなりすぎて外部の人を引っこ抜いてくる時間がない。外部の人って言ったって、氏素性が不明などこの馬の骨ともわからない人物を次々入れるわけには行かない。紹介に頼ってもなかなかいい人は現れない。そうすると勢い、生え抜きの講師の中からそういった部門の長を選ぶことになる。向き不向きなど二の次です。とりあえず草創期から同じ釜の飯を食っているから気心が知れている、という理由でそういう部門の責任者に据える。
でも据えられた方はたまったもんじゃありません。「本部勤務」と聞くと何やら栄転のように聞こえますが、各教場にいた講師にとっては「地獄への片道切符」。だってそういうことがそもそもやりたくなくて、子供たちに囲まれて、子供たちの勉強を見てあげたくて塾講師になったのに、これじゃ「普通の会社員」じゃないか。
実際、そう言って、それを機にさっさとやめていった先生もたくさんいました。
それでも90年代前半は良かったんです。どの塾も、倍々ゲームのように生徒数は増えていきましたから。このころは進学塾の「花の時代」と言えるでしょう。むちゃくちゃ忙しかったですけど企業体が大きくなっていく過程ですから忙しくても前向きですよね。お給料もなんだか身に覚えのない手当がいっぱい付いていてずいぶん懐を温かくしていただきました。
しんどかったのは97年ですか、山一や拓銀が破たんし大不況に襲われた年、あの辺りから以降ですね。どうあがいても生徒が増えない。6年生人口が年々減る上に、不況で受験率が下がったわけですから泣き面に蜂、状態。限られたパイをいくつもの塾で奪い合うわけですからそれはもう、大変です。
「本部上がり」にならず各教室の責任者になった先生たちも、来る日も来る日も、生徒減、売り上げ減と戦う毎日。月に一度の教室長会議では、生徒の退塾率やシーズン講習の申込率、オプション講座の受講率が各教場ごとの一覧表になって配布され、数字の悪い教室の長は罵倒される。こういう場で何を言っても駄目ですね。じっと下を向いているしかない。僕も経験がありますが、こういう場での、最後締めのセリフって決まってるんです。一番偉い人か、会議を仕切っている人が「結局、本当にいい授業をしていれば自然に生徒は集まるんですよ」と言って終わる。しかし、数字の悪い校舎の人間にとってこれを言われるほど屈辱的なことはない。「お前の授業が下手くそだから生徒が減るんだよ」と言われているのに等しいわけで。
退塾者が出れば各教室は、本部に事情とともに辞めた生徒の生徒番号や氏名を知らせなくてはならない。そうしないと次の月の費用が引き落とされちゃいますからね。で、報告を上げるわけですが「成績が上がらないため」「生徒指導に物足りなさを感じ転塾のため」なんて報告できないから、やたらと「転居」ばっかり。「転居」と報告すれば失点にはなりませんから。でも管理部門の人もお見通し。いつか管理部門の人と飲んだら、笑いながら「うちの塾生に限って日本の人口移動率の何十倍もの数で引っ越しが行われている」と言っていました。浅はかな嘘はすぐばれるもので、管理部門の人間が退塾した家庭にきちんと連絡を入れ、本当の退塾理由を把握していたんですね。
僕はいまだにこのころの辛かった会議の夢を見ます。うなされて目を覚ますとびっしょり寝汗をかいてたりして。「うなされたてわよ」なんて奥さんに言われます。
塾の先生はひ弱です。不動産や車のセールスや代理店の飛び込み営業などをやっている方に比べると、大人と比べた子供くらいひ弱。だからそういう、数字が飛び交う会議に耐えられないです。いくら頑張っても営業成績とか、達成率とかの数字になじめない。結果、塾講師をやめる人がどうしても出てきます。といって、やめたはいいけど今さら会社勤めもできない。何しろ教えることしかやってこなかったわけで。そこでそういう人々が塾の時間講師になる。あるいはプロの家庭教師になる。このようにしてプロ家庭教師が完成するわけです。
* * *
今は気楽です。いや「気楽」というと生徒さんたちに失礼ですね。今でも担当生徒の成績がうまく上げられなくて悩むことはあります。しかし、売り上げや生徒数の一覧表を見てため息をついたり、胃が痛くなることはありません。失ったものもたくさんある―安定とか、社会人としての信用とか―ものの、でもやっぱり、「教える職人」が自分には向いているのだ、と再自覚します。
なんだか今日は、変なブログになってしまいました。
「塾講師が塾をやめるとき」そんなタイトルをつけましょうか。それとも「プロ家庭教師はこうしてプロ家庭教師になった」がいいかな。
「震度0」に変にインスパイアされて、それこそつれづれなるままに来し方を綴ってしまいました。また次回からは塾対説明会報告や勉強法の話に戻りましょうね。
あ、そうそう。soyokaze1128でツイッターのアカウントを持っています。
(http://twitter.com/#!/soyokaze1128
)
ただ、僕はあの140字限定のツイッターというツールの有効な活用法が今ひとつよくわからない。「今日も暑いな」とか「今渋谷で買い物中」とかツイートしたって仕方がないですものね。芸能人じゃあるまいし。そこで、読んだ本、観たDVDの短評を綴っています。受験とはさしあたり関係がないので、このブログをご覧いただいた人が読まれてもつまらなく感じるかもしれませんが。
「なんか面白い本ないかな」「次に何のDVD借りようかな」と思っている方の参考になれば幸いです。ただ、140字と制限がきついため、持って回った言い回しができません。つまらないものはストレートにつまらない、と書いてあります。そんな直截的な表現がお好きでない人は、ご覧にならない方がいいかも、です。書いた自分が読み直しても「偉そう」と思ってしまうくらいですから。
まだ6月の終わりから7月にかけて足を運んだ塾対説明会の内容がアップできていません。できるだけ近々、上げようと思います。本格的な受験に関する話題はそれまで少々、お待ち下さい。