三輪田学園の対塾説明会に行ってきました。(実はひと月以上前)
以前行った時は、ご年配の理事長が出てきて「三輪田学園をよろしく」と連呼されるばかりで、正直「?」と思ったのですが、今回は理事長先生は出てこられず、校長先生中心のお話でした。
創立100年を超える女子校。昔は「制服がちょっと…」という声を聞きました。確かベルトのバックルが三つの輪になっているのではなかったでしたっけ。「あの制服はちょっと引く」と言っていた生徒が結構いました。
今は新制服になりました。ごく普通の制服でプラスにもならないけど、少なくとも制服が嫌だから受験しない、という生徒も出ないでしょうね。無難なデザインだと思います。
しかし、「悪評」(?)高かった旧制服を着たキティちゃんが文化祭で発売されたらあっという間に売り切れたとか…。すると、あの制服、意外とコアなファンを持っていたということなのかな。このキティちゃんの画像は声楽家の佐橋美起さんのブログで見ることができます。(2009年10月6日)
さて、この三輪田学園の創立者、三輪田真佐子さんはどういう人物かというと、
生年: 天保14.1.1 (1843.1.30)
没年: 昭和2.5.3 (1927)
明治期の女子教育者。幼名梅野。京都の儒学者中条侍郎の養女。梁川星巌に師事。息子のない両親の嘆きを聞き女性でも努力すれば学者になれると勉学に励み幼時より漢学の才を発揮。26歳で三輪田元綱と結婚,2男2女をもうける。夫の死後,松山に家塾明倫学舎(1880),東京神田に翠松学舎(1887),三輪田女学校(1902)を開設。(朝日日本歴史人物辞典より転載)
うーん。偉い人だったようですね。当時は「意欲のある女子に学ぶ場所を提供したい」という理想に燃える教育者がたくさんいて、その方々が今の女子教育の礎を築いたわけですがこの三輪田真佐子さんもその一人。下田歌子さん・跡見花渓さん・大妻コタカさん・津田梅子さんら、女子教育の先達とほぼ同時代の人です。
それぞれの方の生まれ年と、学校を開校した年次を記すと
跡見 花渓 1840年生 1875年 跡見開校
三輪田真佐子1843年生 1902年 三輪田開校
下田 歌子 1854年生 1899年 実践女子開校
津田 梅子 1864年生 1900年 津田塾開校
これらの先達がいなかったら、わが国の女子教育はずっとずっと遅れていたでしょう。
1900年というと明治33年。日露戦争の4年前ですね。12歳以上の男女の混浴と未成年の喫煙が禁じられ、小林多喜二と宮沢賢治が亡くなった年。この年の女子の就学率は、というと、修業年限4年の小学校を卒業した女子の2.7%しか中等教育機関(尋常中学校、高等女学校、尋常師範学校)に進学していません。(文部科学省「日本の成長と教育」第二章第二節三項「中等教育の普及と女子教育の振興」による)
しかし、これ、驚いたのは、わが国において女子の半数が中等教育機関(戦後は後期中等教育課程=すなわち高等学校)に進学するようになったのっていつだと思います?1955年で47.4%、1960年で55.9%. ようやく昭和35年になって半数以上が高校に進学したんですね。僕は昭和40年前後の生まれですが、そうか、僕の生まれたときに、15歳年上のお姉さんたちは、ほぼ半数は中学卒業して働いていたのか…。
なんだかびっくりです。
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「誠のほかに道なし」が校訓。このあたりはいかにも儒学者の養女という感じです。
女子教育の根幹は「知育、徳育、体育、美育」。最後の「美育」というのが聞きなれない言葉ですが、「美意識を育てる」ということなのでしょう。
これは大切です。電車の中でおにぎりをむしゃむしゃ食べる女の子。ほぼすっぴん状態から特大のつけまつげまで含めて完璧メイクで変身してしまう女の子。オジサンからすると目が点、です。ぜひ、三輪田に限らず「美意識=身だしなみ、たしなみ」を教育して欲しいと思います。
閑話休題。
僕はこの学校は文系の学校だと思いました。説明会全般から「文系志向」を感じ取れました。
社会科に力を入れている。倫社が必修、というのは珍しいですね。でも倫社は大学の「倫理学・哲学・社会学・心理学」の前座みたいな科目ですから、これからの将来や自分の生き方をしっかり見据えてもらうためにも倫社を学んでもらう意義はある、という言葉は説得力がありました。また高3で政経を取るのも「有権者になる準備をしてもらう」。しごく真っ当な意見ですよね。
また、世の中の仕組みや現代の諸問題をしっかり考えて欲しい、という狙いの下、文学作品を読む「国語科読書」とは異なる「社会科読書」というものを提唱している。
でもいいじゃないですか。理系進学ばっかりが取り上げられる昨今、僕は正直そんな風潮を疑問に思っていました。
もちろん理系はいいのですが、文系だって大切ですよね。
「女子高」→「女子大文学部英文科」という道がデッドエンド(行き止まり。つまり就職で苦労する)というだけで、法学部や経済学部のどこがいけないのか。あるいは語学もいいでしょうし、教員養成だって日本の将来を考えたらとても大切。
そもそも、「理系に強い」といっても工学系や理学部というよりメディカル系、それもずばり「医学部」だけを念頭においている場合が多くないですか。医学部志向の強さに不純な匂いを嗅いでしまうのは僕だけでしょうか。
「リケジョ」(理系女子)や「ドボジョ」(土木女子)もいいけど何事も行き過ぎは良くありません。
「××中学校はどうですか」
「ああ、××中ですか。でも理系が弱いですよね…」
「えっ。ああ、理系ですか。でもいい学校ですよ」
「でも、うちはできれば医歯薬に行かせたいんで」
「…」
みたいな会話。最近多くなりました。
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さて進学実績を見てみます。
千葉大2人、お茶大・岐阜大・信州大・東京農工大・横浜市立大各1人。国公立が7人ですね。在籍170名に対する比は4%.
早稲田合格4名→進学2名。慶応2名合格→1名進学。上智5名合格→3名進学。東京理科0名。MARCH46名合格→21名進学。成成明女(成城・成蹊・明学・東京女子・日本女子・津田塾女子)43名合格。
すみません、最後の成成明女の実進学者数は手元の資料にないので分かりません。だいたい、どのゾーンでも合格者と進学者の比率は2:1前後になるので、20名程度が進学と思います。また学習院に8名合格していますがやはり便宜上うち4名が進学、とします。
さて例によって進学者を全部足していきましょう。
国公立+早慶上智に13名。つまり学年トップ10%にいればこのゾーンに受かっていくと言うことですね。
国公立+早慶上智+G-MARCHに13+25で38名進学。全体の22%ですね。
そしてさらにそれに成成明女の20名を加える。58名。全体の34%。
つまり「学年の上位1割にいれば国公立か早慶上智に、学年の2割にいればG-MARCHに、学年の3分の1にいれば成成明女以上に受かる学校」。
いいじゃないですか。
ちなみにまた代ゼミのサイトを参考にさせていただき、成成明女の偏差値を見てみましょう。比較のためにG‐MARCHの経済学部の偏差値を一緒に載せてあります。
62:明治(政治経済) 立教(経済)
61:
60:津田塾(学芸)中央(経済) 学習院(経済)
59:東京女子(現代教養)日本女子(文)
58:成蹊(経済) 成城(社会イノベーション) 明治学院(法) 青山学院(経済) 法政(経済) 日本女子(人間社会・家政)
57:成城(法・経済) 明治学院(経済・国際・心理) 成蹊(文)
56:成蹊(法) 成城(文芸) 明治学院(文・社会)
三輪田の6年前の80%偏差値は48(四谷大塚)ですから普通に立派な実績だと思います。
教頭先生の「当校は、入った後あんまり勉強勉強って言わないんです。それでこの実績ですから」というお言葉には思わず笑ってしまいました。
一理ありますが、あんまりそれをずばりと言う学校もないような気がします。
* * *
説明会が終わった後、校舎見学をさせてもらいました。
いやあ、素直に驚きました。
「至れり尽くせり」という表現がふさわしい。
通年使用できる温水プール。床暖房付きの体育館。器楽用と合唱用の二つに分かれている音楽室。地学・生物・化学・物理の一科目一教室ある理科実験室。図書室も一般用と「社会科読書用」の二種類がある。LL教室。パソコン教室。そして採光のいい一般教室。
授業料が月額36,000円。実験実習費が7,500円。施設設備費が12,500円。修学旅行積立金や生徒会費、副教材費などが月額に直すと6,666円。ここまでの合計が62,666円。あとは入学金が30万円、制服やバッグなどが約14万円。
6年間で約500万円。けっして安い金額ではないですね。でもこの環境を考えたら高すぎる金額でもないと思いました。
6年間、週6日、この教育環境の中で過ごせるわけでしょう。
ここで学べる生徒は本当に幸せですね。通わせてくれるご両親への感謝の気持ちを絶対に忘れてはいけません。
そう痛感した説明会でした。
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