中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言- -7ページ目

中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

9/11の日曜日、新宿NSビルで行われたNPO法人塾全協主催の合同相談会内で行われたセミナーを傍聴してまいりました。遅くなりましたが、その内容のご報告をしたいと思います。各段落の中で「 」がついている部分はセミナー時にパネリストの先生がおっしゃった内容、そのあとに続く「 」がついていない部分は僕の所感です。そのようにお読みいただけたらと思います。


1.森上教育研究所所長 森上展安先生、四谷大塚入試情報センター 岩崎先生 合同ディスカッション

①2極化の進行
「リーマンショック直前の2008年の受験者数を100としたときに、2011年入試では受験者総数は11%減で指数は89となっている。では、具体的にどのゾーンで減っているのか。四谷大塚の合格偏差値によってA~Hの6ランクに分けて各ランクごとの指数をみると
A=101
B=95
C=105
D=90
E=77
F=69
G=64
H=83 
と、概ね学校のランクが高くなるほど減少幅は少ない」

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第二次中学受験ブーム、などと言われていた2008年のころに比べると全体で10%強の減。しかし、現場の人間の感覚で言えば、よく10%で済んでいるな、というのが正直な感想です。つまり、もっと減っている感が強いですね。恐らくは塾の基幹講座となるいわゆる平日の講習はサピックスを除くと15~20%の減、オプション講座は20~30%前後の減、といったところが多いのではないでしょうか。また「塾での勉強を補完する」役割の家庭教師の需要もかなり減っていると思います。ある家庭教師派遣会社では毎年前年比1割減で3年で3割近くダウンしている、とのことでした。いいのはサピックスと個別指導塾だけのようですね。


この厳しい経済状況の中、逆に10%減で済んでいる理由は、厳しい世の中であればあるほどきちんとした学力をつけていわゆるいい大学に進ませたい、という親の願望の表れ、という説があります。それ以外の理由を見つけるのはむずかしいので、どうやらそういうことなのでしょう。


さて、学校のランクごとの減少幅は確かにそうであろう、という印象です。Aが101.全体が10%減っている中でトップ校は逆に増やしているんですね。「受験者減」「易しい入試」というフレーズが喧伝されて、多少無理筋でも狙わせる、というご家庭が増えたのでしょうか。


Hが83で指数が高いのはある種の「統計のいたずら」でしょう。上記のランク分けが具体的にどのゾーンが偏差値いくつ、というのは示されませんでしたが、仮にA=70以上、B=65~70、C=60~65、D=55~60、E=50~55、F=45~50、G40~45、H=40未満 と偏差値で5刻みにした場合(各範囲の左が「以上」で右が「未満」)、Hに属する学校はかなり少数になるので、ある特異な動きをした学校があった場合、そのゾーン全体を左右しがちですね。


偏差値40以下となると学校の勉強もついていけていない層である。その子たちは、公立中学校へ進学したらばより高校受験で苦労する。都立入試がかつてないほど厳しい状況下、一つ間違えたら普通科に進学することさえ難しいかもしれない。そこで逆に中学入試段階できちんとした学校に入れておきたい、と家庭が考えた


という理屈も成り立つかもしれません。もちろん、そういう家庭も何割かは存在すると思います。思いますが、それだけが原因で偏差値30台の学校の減り幅が少ないとは思えません。やはり誤差の範囲、ということになるのではないでしょうか。


男女別でいうと、特に女子の中堅以下が本当に受かりやすい入試になっていますね。ここ1・2年、従来の入試ではほとんど無理、というお子さんが見事合格の栄冠を射とめるケースの多くが女子中堅校です。そういう意味では、女子中堅校(&それ以下)については、本当に「努力が結果に結びつきやすい入試」になっている、と言えそうです。


 *  *  *


②人気校はより人気が高まり、不人気校はより敬遠される
「2極化の意味は、『(偏差値の)上下で二極化』ということもあるが、『人気校はより人気が出、不人気校はより出願者が減り気味という、それぞれ正負のスパイラルに陥っている』という意味もある。これは、低学年から塾通いをスタートさせる家庭が増え、従来より通塾期間が長くなった結果、家庭もより厳しく吟味するようになった結果ではないか。またサンデー毎日が大学合格者数特集をすると従来の売り上げの3倍くらいになるという。それからしても、ご家庭の関心が出口(=大学合格実績)にあることは自明である」

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岩崎先生は「行列の心理」を引かれて説明されていました。「行列ができているとなんだかよく分からないけどとりあえず並んでみよう、と思いますでしょ。あれと通ずる部分があると思いますよ」。これはセミナー後半の安田先生も同じようなご説明をされていました。「よく分からないけど、みなが受験するということはいい学校なんだろう。だったらうちもそこに出願しておくか」みたいなもの、と。


もちろん、第一志望や第二志望はそんな薄弱な理由で学校選びをしているとは思いません。ですが、第五、第六志望くらいになるとそのような心理が働くことは否定できないのではないかと思います。僕もご家庭とお話ししていて、ご両親が「よく分からないんですけど、皆が受けるのでウチも…」と言われたことは何度かあります。それに対してあまりにお子さんの雰囲気と校風がミスマッチの場合は老婆心ながら申し上げることもありますが、ほとんどの場合は「そうですか」とだけお答えしているようにしています。


大学進学実績については、このブログでもできるだけ言及するようにしています。もちろん「大学合格実績って言ったって、皆塾や予備校に通っているわけで、その学校だけの力で入れたわけじゃない」という批判があることは承知しています。特に上位校ほど塾・予備校の力は大きいですよね。東大合格実績も本当は「□□高校×鉄緑会」「△△高校×駿台」という、「所属高校×通っている塾・予備校」という組み合わせで見ていかなければいけないのかもしれません。開成・筑駒にしても桜蔭にしても、日々の授業の中で東大対策なんて全くやっていません。それどころか大学入試に決して出ないような内容を延々やっている授業さえある。(しかしそういうリベラル・アーツ的な授業が、知識に深みをもたらしたり類推・演繹する思考法を育てることで逆に東大合格に役立っている、という説もあります)


僕の口の悪い友人などは、「いい学校っていうのは、中途半端な指導力でやれ補習だやれ課題だ、と受験勉強の邪魔などせず、放課後さっさと終わって宿題も軽くて、通っている生徒が予備校通いに支障をきたさないようにする学校のことを言うんだよ」と言って憚りません。


しかしそんなことを言ったらすべての尺度が尺度として成り立たなくなりますよね。盲信するのは考え物ですが、人が何かを選ぶときはある程度の蓋然性のある尺度を頼るのは当たり前ですから、大学合格実績をそれなりに気にするご家庭の心理は許容されるべきでしょう。


 *  *  *


③キーワードは「面倒見」

「広尾学園や都市大付属のように、毎年かなりの割合で受験者を増やしている学校には共通項がある。それは『面倒見の良さ』である。たとえば毎朝、復習テストを行い、下校時間までにそれを採点して返却する。そして基準点以下の子は残して徹底的に補習をする。朝も早くから自習室を開放し、夜は夜で8時9時まで残し、言わば学校ですべてが完結するようにしている。その手の学校は家には寝に帰るだけで、『家庭学習』というものをそもそも想定していない」


「とりわけ偏差値50以下の生徒は、そもそも勉強を自分自身からできる態勢になっていない子、と言える。そんな生徒が中学校に行って『さあ、あなたももう中学生なんだから一人で勉強をするのよ』とリリースしても一人でできっこない。だからそういう面倒見主義の学校が親に受けるのである」

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“面倒見の良さ”というのは中学入試だけではなく、いまや社会全体の志向のような気もします。

今多くの大学で成果を上げているのが「徹底的に学生の面倒を見る態勢」のようですね。いつか新聞の記事を読んで驚いたのですが、次のような大学の取り組みが紹介されていました。


〈朝、大学が一人暮らしの学生にモーニングコールをする。健康管理もしてあげる(喉は痛くありませんか、とかごはんはきちんと食べられていますか、みたいな項目が並んでいる「健康管理カード」記入をさせる)。生徒をファーストネームで呼ぶ。日記を書かせてそれに教授がコメントを書いて返す(つまり交換日記ですね)。キャリアガイダンスと称して、教授が引率して企業を見に行く。同じ趣味や嗜好の学生同士を引き合わせてあげる。将来、25歳、30歳の自分像を作り上げるカウンセリングをする…〉


すべて相手は大学生ですよ。


びっくりしました。もちろん、上記の成果を上げている大学は国公立や難関私大ではありません。いわゆる募集困難大学と呼ばれる、地方の定員充足率が7割以下とか、5割さえいかない、とかそういった大学です。いやしかし、20歳近くあるいは20歳を超えた大学生相手にそこまでしないとならないとは…


さらに驚くのは、そういう全学的な取り組みが成果を上げていて、企業からも喜ばれる(あの大学を出た社員は質がいい)、そして受験生&入学者もV字回復した、とのこと。これを読んで、僕は(その学生さんたちは、企業に入社してから大丈夫なのかしら)と思ってしまったのですが。いったいそこまで手厚くされて、どの段階で大人になるんでしょうね…


 * * *


予想以上に長くなってしまったので、いったんこの段階でアップすることにします。この後、あまり日をあけず、「森上先生&四谷大塚入試情報センター合同ディスカッション(後半)」「安田理先生の講演報告」を上げるつもりです。

夏も終わりました。みなさんの勉強の進み具合はどうでしたか。
今年の夏は、昨年に比べればしのぎやすい夏だったと思います。


僕は、というと、ちょっと私事で身辺がバタバタしまして、すっかり更新がご無沙汰になってしまいました。今後はまた気合を入れて、せめて月に3・4回は更新したいと思います。


 *  *  *


9月になるといよいよ入試問題演習が始まりますね。また模試も本格的にスタートします。どちらもまた改めて回を取って書きたいと思いますが、模試はあくまで模試であるということを心に留めておいていただきたいと思います。それ以上でもそれ以下でもありません。「それ以上ではない」という言葉の意味は、模試の結果は絶対的なものではない、ということです。模試で厳しい判定が出ても本番の入試で見事合格の栄冠をつかんだ生徒をたくさん見てきました。特に第一志望校については「そこを受ける」という前提で受験勉強を進めてきたのですから、分の悪い判定が出ても受けていくべき、と考えます。


「それ以下ではない」という言葉の意味は、前段と矛盾するようですが、マクロでみると模試で40%の判定が出た受験生を100人集めたら、やっぱり合格者は半分以下になる、ということ。だから「受からない」という前提で併願パターンを考えるべきだ、ということです。「模試だから本気出してないし」とか「本番はきっとうまく行くさ」みたいな根拠のない楽観論は厳に慎むべきです。


ただ、その判定の数字や偏差値そのものさえも、バイアスがかかっているというかレア(生)の数字ではないはずで模試センターの方で数字は整えられているのはこの業界の常識でもあります。


そのあたりはまた回を改めて。


 *  *  *


今回は香蘭女学校の塾対象説明会報告です。


すみません。この塾対象説明会の報告、女子校の割合が多くなっています。これはそもそも、塾対象説明会を実施するのが女子校の方が多い、という事情があります。男子では今年の春の時期、海城、城北、世田谷学園、高輪などが行っていたのですが、今回はたまたま塾の他のスタッフが行ったため、自分は参加できませんでした。ずいぶん先になりますが、来年は(もしくは秋にあれば)その辺りの学校にもぜひ参加してご報告したいと思います。男子のご父母の方、ご勘弁ください。


さて。
いきなりクイズ形式です。
「東京の女子校で複数回試験を実施しない学校(つまり入試が一回しかない学校。帰国入試を除く)は何校あるでしょう」

これに即座に答えられたらかなり中学入試に詳しい方です。

正解は御三家の三校に、白百合、聖心女子、香蘭、立教女学院。なんとわずか7校。神奈川まで広げてもフェリスと湘南白百合、横浜雙葉が加わるだけです。


これはやはり学校側の自信の表れ、と考えるべきでしょう。本校の入試は1回行えば十分ですよ、という。1日に

(白百合は2日ですが)気になるところがあればどうぞそちらをお受けになっては。私どもは無理にとはお願いしませんから、ということですね。


消費者に迎合しないハイブランドのショップが逆に人気を集めるのと同じ構図でしょう。でもこれはブランディングによほど自信がないとできません。


そしてそのうちの一つの香蘭女学校。一言で印象を言えば「厳格なミッション系女子校」となるでしょうか。英国国教会系、聖公会系です。これは立教と同じ系統ですね。だから立教大学の半付属校的存在になっています。いろいろ調べたのですが、特段英国国教会が厳格な教えで有名、というわけでもないようです。とするとこの厳格さはやはり香蘭女学校自身の校風、スクールアイデンティティなのでしょう。


香蘭女学校の教育と言えば、校長先生の横内允先生抜きでは語れません。先生は著書の中で「昭和ひとケタ世代」とご自身のことをおっしゃっていますから、もっともお若くても77歳、ということになりますね。お言葉の端々に「横内イズム」ともいうべき強いメッセージが感じられました。


「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という言葉がありますね。直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」の意味。一般的に「財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うこと」と説明される言葉ですが、横内先生のお話を伺っているとこの言葉を連想しました。もちろん、開校当時と異なり今や私立中学校に進むことが特殊なことではなくなりました。しかし、やはり6年間で500万近くあるいはそれ以上かかるわけですから、どの階層の家庭でも望めば行ける、というものではありません。香蘭女学校自体はべらぼうに学費が高いわけではないですが、それでもやはりこの学校に通う生徒はある意味「良家の子女」たちでしょう。


その彼女たちに対して、「あなたたちがこの恵まれた環境で学べるのは、決してあなたたち自信が豊かになるためではないのです。その学びの成果を社会にお返しすることがあなたたちの義務なのです」と、ど真ん中に直球を投げ込む教育。良いと思います、僕は。

そして「エレガンスであれ」。「エレガンスというのは見かけを表す言葉ではありません。心が雅びで清らかでないと、外見をいくら飾ってもエレガンスではないのです」と香蘭の教育は説いています。


ここのところ―バブル以降でしょうか―モラルや徳性という点で「大丈夫か、日本は」という目線で語られることが多かったですね。もともと日本という国は武士道と儒教のおかげでしょうか、非常に公徳心の発達した国でした。それは古今、我が国を訪れた外国人が一様に指摘していることです。しかも、社会の上位層だけでなく市井の人々にもその公徳心がしっかりと根付いている。これはいかなる国政の結果か、と驚いたという記述がいたる所に出てきます。


しかしながらほんの少し前まで、その高い公徳心はすっかり崩壊してしまったのではないか、今や日本という国は以前のような、人々が譲り合いをし、ルールを守り、人が人を思いやる高度な人間関係が構築された社会ではなくなってしまったのではないか、という見方が支配的だったような気がします。僕の母親、もう齢80ですが、彼女などはすっかりあきらめモードです。「もうあたしのような婆さんが何言ったってだめよ。うるさがられるだけでね。今の若い人ったら見てられないわ。ゴミはどこへでも捨てる。電車の中でも席を譲らない。ヘッドフォンで音楽聴きながらマンガ読んでへらへら笑ってる。中年の人もそう。酔っぱらって駅員さんに絡む。駐輪禁止、って書いてあるのに平気で自転車を置いていく。家庭のゴミを駅や公園に捨てる。昔はそんなことなかったのにね。やっぱり豊かになっておかしくなっちゃったのかしらね」と大層批判的でした。


そこに起きた今回の大震災。被災地の人々の振る舞いは世界の国々から絶賛されました。しかしあの世界中が驚嘆した人々の行いは、場所が東北という高齢者の方の割合が比較的高い地域で起きたからではなかったのか。もし東京で同じような災害が起きた時に、特に若い人たちは同じような利他的で抑制的な行動がとれるのか。もちろん、プレイフォージャパンなどには「若い人たちも捨てたものじゃない」「見直した」という書き込みが溢れました。しかし「捨てたものじゃない」という表現って、ほとんどそれまでは「捨てられていた」のではないのか。

考えると僕は40代後半ですが、自分が子供のころはもっと口やかましく周囲の大人からしつけられていた記憶があります。今は子供の数が減ったせいでしょうか、社会全体が子供に「腫れ物に触る」ように接しているのかもしれません。


そんな今、生徒におもねることなく甘やかすことなく「恵まれたあなたたちには社会に奉仕する義務がある」「気品を保ちなさい。人様に笑われぬよう振舞いなさい」と真正面から言ってくれる教育は、僕は価値があると思います。私立の強みってそこですよね。その学校の教育方針や建学の精神に賛同して入学する、という前提がありますからそうとう上から目線でものを言ってもセーフです。公立がそんなことしたら大騒ぎですが。


この学校で6年間を過ごしたら、ごく自然にまず自分よりも周囲の人のことを考える人間に育つのではないでしょうか。


そういえば以前取材でお邪魔したサレジオ学院。この学校も「25歳の男づくり」ということを教育目標に掲げていましたが、単に「25歳になったとき、どのような人間になるか」ではなく、もう一歩踏み込んで「25歳になったとき、どのような形で社会にお返しができるかの具体的イメージを持ちなさい」と生徒に言い続けている、とのことでした。


心配があるとすれば、横内先生、いつまでもお元気でご活躍していただきたいと願ってやみませんが、いずれは第一線を退かれる時が来るでしょう。そのとき、次を担う先生は大変だと思います。後継者をどう育てるか。ジャパネット高田でもユニクロでもソフトバンクでも楽天でも、後継者育成というのが最大の課題であり、かつ懸念材料のようですね。もちろん、ビジネスと教育では違いますが、次を担う先生が横内先生ほどブレずに「お厭なら他所へどうぞ」という姿勢をとれるのか。横内先生が最前線を退かれたとき、この学校の曲がり角がやってくる気がします。


全般的には、とても好印象。塾対説明会というと、学校によっては戒厳令状態で時間割を変えたりするところすらあるようです。(説明会後の校内見学に対処して)ところがこの学校は、説明会を行っているホールの横を(もちろん休み時間ですが)まったく気取らない様子の生徒が元気な声を上げて通り過ぎていく。飾らない、というか、自然体ですね。普通は朝のホームルームで、「今日は塾の先生を招いての大切な説明会があるからホールの横を通るときは私語厳禁」とか何とか言って、先生がおっかない顔で立ってたりする。極端な場合は移動のルートまで変えたりして。そもそもそんなことをする発想自体がないんでしょう。自然体の生徒を見ていてそう感じました。これもある種の自信の表れ、と言えるのでしょうか。


進学実績は、立教以上に半数が行けるのですから入学時偏差値55(四谷大塚80%偏差値)としては十分。成成明女(成蹊・成城・明学・日女・東女・津田塾)以上となればもっと多くの割合で進学しています。理系の専門職志向の生徒などには不向きかもしれませんが「MARCHかそれに準ずる大学の文系学部進学」を念頭に置いたら不満のない進学実績でしょう。


 *  *  *


と、概ね好意的に書いていますが、実は僕自身、一人の親になって考えると、この学校は我が家の次女のような子には薦められない学校だな、と強く思いました。


我が家の次女、今まだ小学校低学年ですが、一言でいえば「天の邪鬼」。長女は協調性に富み、周囲との調和をまず第一に考えるタイプなのですが、次女は「××してはだめだよ」と言われるとなぜか敢えてそれをやっちゃう性質なのです。彼女が通っていた幼稚園は、ご年配の園長先生が厳格な保育をしていたのですが、あれは気を惹こうとするのか、あえて(としか思えない)言いつけにそむくようなことをする。たとえば「お友達とお話をして決めようね」なんて言われるとわざと「わたしやらな~い」と背を向けたりする。それまで鼻歌で口ずさんでいた曲を「みんなでお歌を歌いましょう」というと、天井の一点を見つめて口をへの字にしている。もう、親はそのたび恐縮して平謝りです。くだんの園長先生は大大ベテランなので「あの子は天の邪鬼なのよ。性格の根元がひねくれているわけじゃないから大丈夫よ」なんてそれこそ好意的におっしゃってくれていたのですが、何度3年間の園生活で冷や汗をかいたか。


そんな次女がこの学校に通ったら、間違いなくアウトですね。周りからも浮き上がって確実に高校受験で都立の共学校に行く、と言い出すでしょう。反面、生真面目で融通の利かない我が家の長女のような生徒には実に向いている学校だと思いました。


学校選びは難しいですね。親が気に入っても親が通うわけではありませんから。さりとて、6年生の段階で子供に学校を見せたところで「厳しくて嫌」なんて言うわけもありません。バザーや文化祭などを見せたら目がハートになって「行きたい行きたい!!」というのが関の山。それを後から「でもあなたが行きたいって言ったんだよね」と責めるのはあまりに酷というものでしょう。


うーん。親の責任は重大です。


 *  *  *


最後に横内先生の著書、「神に育まれて」(聖公会出版)は香蘭の教育に関心のある方は是非読まれるといいと思います。「おっかない(けど心の温かい)親戚のおばちゃんに法事で久しぶりにあったら『あんたちょっとそこに座りなさい』と正座させられてみっちり小言を聞かされる気分」なんて言ったら叱られるかな。でも僕はいちいちうなづきながら読ませていただきました。

国府台女子学院中等部の塾対象説明会に行きました。


その前に、先日の三輪田学園の説明会報告の際、書き忘れたことが一つ。


説明会において教頭先生だったかな、国語の主任の先生だったかな、「本校の国語の入試問題で取り上げる文章は、『いじめ』『死』『別れ』がテーマになっているものはない。そんな文章を入試問題で取り上げるわけにはいかない」と、強くおっしゃっていましたが、これは立派な見識だと思いました。


入試問題の文章といえば受験生は「穴の開くほど」読み込むものです。杉みき子さん、とまではいかなくても、やはり読んで元気が出る、頑張ろうという気になる、そんな文章がいいと思うのは僕だけではないでしょう。


いつぞや、森上展安先生主宰のセミナーの入試問題研究のセグメントで、国語科担当の先生が「最近の中学入試で取り上げられる物語は、いじめや裏切り、死や別離のオンパレード。不幸な子ほど実体験とリンクして点数が取りやすいのは困ったものだ」と苦笑交じりにおっしゃっていました。まさに同感です。(もちろん、実際に不幸な体験をしていれば読解力が無くても高い点が取れるわけもありません。このコメントは、そんなネガティヴな文章ばかり出し続ける学校に対する皮肉を冗談に紛らわしておっしゃったもの、と解釈しましたが)


  *  *  *


さて本題に入ります。

国府台女子学院は、ご存知のとおり、仏教系の学校です。もともと宗教と教育は親和性が高く、お寺が幼稚園を運営しているケースはずいぶんありますね。


首都圏にも仏教系の学校は18校を数えます。ご参考までに以下に列記してみました。


[浄土宗系]

淑徳SC
淑徳巣鴨
淑徳
淑徳与野
 
[浄土真宗系]
国府台女子学院
千代田女学園
武蔵野女子学院
 
[真言宗系]
成田高付属
宝仙学園
 
[曹洞宗系]
駒沢学園女子
世田谷学園
鶴見大附属
 
[天台宗系]
駒込
 
[日蓮宗系]
東京立正
文教大付属
立正
 
[臨済宗系]
鎌倉学園
 

今回、僕は初めて国府台女子学院に足を踏み入れました。説明会の会場は講堂だったのですが、講堂で着席した時、まず率直に感じたことは、「女子の仏教系の学校は、『西洋的なもの』に対する憧れとも戦わなくてはならないから大変だろうな」ということでした。


講堂の壇上には巨大な仏壇があります。かなり存在感がある。(そうだ、ここは仏教系の学校だったんだ)と否応なく思います。また、以前、教え子が英検の試験でこの学校に来た時、「銅鑼(ドラ)が下がっていてびっくりした」と感想を語っていました。


我々日本人の心には、明治の頃から「脱亜入欧」を目指していたからか


西洋的なもの=美・善・クール(かっこいい) ⇔ 東洋的なもの=醜・悪・ダサい


という図式がいつしか厳然と刻み込まれていないでしょうか。


そしてキリスト教vs仏教という二項対立で観た時、言うまでもなく


キリスト教=西洋的
仏教=東洋的

になります。


連想ゲームではないですが、「キリスト教」と聞いて思い浮かぶものは「ゆりの花・チャペル・十字架・マリア像・ステンドグラス・賛美歌…」


片や「仏教」は「菊の花・お堂・鐘・観音様・お線香・お経…」


うーん。イメージ戦では仏教の苦戦は免れない感じですね…


ただ男子校の場合、仏教系だろうとキリスト教系だろうと、あまり影響が無い感じがします。芝や世田谷が仏教系だから苦労している、という話は聞いたことがありません。


いつぞやうちの奥さんが「女の子だったらキリスト教系がいいよ」と言うのを聞いて、「おいおい男女と宗教と何の関係があるんだい」と言ったことがありました。でもうちの奥さんのように「女の子」≠「仏教」 という方程式は実は意外と根強いのかも。


また仏教系のイメージが今ひとつぱっとしないのは、「仏教」そのものが存在感を失くしていることとも関係しているのかもしれません。


どこかで「社会の中で立ち位置を失っている現代仏教界」という雑誌記事を読んだことがありますが、確かに今の仏教界は本来の「宗教」としてはアピール度が低いですね。


世界各国のキリスト教が積極的に発信をし、また単に発信だけでなく、僻地教育や災害地・戦地のボランティアなどの行動実践で活発に活動しているのに対し、仏教界にまつわる話はどうも振るいません。例えば戒名やお布施に関する金銭的問題。最近、流通大手のイオンが葬儀業に参入を表明しました。それに対し仏教界はすぐに憂慮の念を表明しましたが、どうも仏教界のリアクションは「食い扶持が無くなる」という単純な経済的問題に矮小化されている気がしてなりません。事実、布施の金額の明瞭化を主張するイオンに一般の人々から賛同の声が上がっているという事実を仏教界の方々はどうとらえられているのか。本来、魂の救済を目指す仏教が、今や先祖供養と葬儀のときだけに必要とされる「葬祭仏教」となってしまっている気がするのは僕だけでしょうか。


  *  *  *


いつもの悪い癖で、話がずいぶん横道にそれました。
今は国府台女子の説明会の報告をしていたのでした。仏教界の批判を展開されても国府台女子も迷惑でしょう。


ただ、混迷と混乱の現代だからこそ、「宗教」の重みは増しているのだと思うのです。そして「魂の救済」や「仏の教え」を教える学校があることは、現代の日本にとってむしろ歓迎すべきことだ、と僕は思います。


今回の説明会で少し残念だったのは、「西洋的価値観だけではなく、仏教的・東洋的価値観を伝えることはけっしてマイナスにならないはず」と学院長がおっしゃるだけで、では具体的にどのような価値観を伝えようとしているのか、どんな校内活動でそれを実践しているのか、に全く触れられなかったことです。例えば、また後日アップしますが、香蘭女子などは非常に強い主張が感じられました。「当校はキリスト教的価値観を教える学校である。そしてキリスト教価値観とは…というような物の見方である。そしてそれを…という行事を通して生徒に伝えている」というような。


先に書いたような「仏教=東洋=ダサい ⇔ キリスト教=西洋=かっこいい」という図式が生徒の側にあるのであれば、「仏教的価値観」を前面に出せば出すほど生徒募集にはマイナスになる、という心配は分かります。ですけど、そもそも宗教系の学校というのは根源的にそういうリスクを背負っているものでしょう?「全部カードは見せますよ。それで良ければどうぞ」の方が、僕はいいと思うのですが。


説明会で先生方がおっしゃったように、千葉県内の入試で国府台女子は確固たる地歩を固めた観があります。応募者も順調に増えている。

であればこそ、自信を持って「仏教的価値観」を前面に出されてはいかがでしょう。


 *  *  *


さて、例により、大学への実績です。合格者数と実進学者数が混ざっているのでご注意下さい。また数字はいずれも過年度卒業生を含まない、現役のみの数字です。


国公立の合格数は東京1、お茶の水1、東京外語3、筑波2、千葉4、東京学芸1、東京農工1、埼玉1、首都2、茨城1、県立保健医療1の19名。「まずまず」と「もう一歩」の中間くらいのイメージでしょうか。都内のトップランクの合格確保校として人気を集めている学校なら、もう少しあってもいいかな、という気がしなくもありません。

とくに千葉大。お膝元であることを考えたらもう少し欲しいところです。
同じ県内私立だと、日大習志野10、麗澤7、専大松戸6、芝浦工大柏5。八千代松陰で6ですから。また県内の公立高は、というと、千葉・船橋・東葛飾の御三家は別にするとしても、佐倉32、薬園台24、八千代9、小金6と比較して4名はいかにも少ない感じがします。


私大。

( )内が合格者数、( )なしの数字が実進学者数です。早稲田11(21)、慶応6(8)、上智4(9).早慶上智の実進学者数21名。明治8(19)、青山5(12)、立教10(30)、中央4(12)、法政5(17).東京理科大4(15).MARCHの実進学者数が32名。


あれ。

ちょっと寂しいかな。


卒業生数327名。これは多いですね。一般の私立女子校の倍とまではいきませんが、4クラス体制の学校で180名、6クラス体制の学校で240前後ですから、327名はかなり多い部類です。都内だと、江戸川女子が324、十文字が318、豊島岡女子が362名(いずれも平成23年春卒業生)。どうしても高校募集をしている学校は多くなりますね。


とすると、国公立が10名進学として、早慶上智と合わせて約30名程度ですから1割ですね。

MARCHが32名、東理が4名だから、国公立+早慶上智+MARCH+東理で70名弱。
全体の2割です。


手元に6年前の国府台女子の合格偏差値が無いんですが、ここ最近、急難化したという感じもないので53、4はあったのでは?


やはり偏差値55近い学校なら「学年の真ん中、とまではいかないけれど、学年で上から4割くらいのポジションにいれば現役でMARCH」くらいにはなって欲しいですね。


 *  *  *


今回は全体的トーンがやや辛口になってしまいました。


でもいい学校と思えばこそ、もっと伸びていって欲しいと思います。
そんな期待を込めての苦言、と思っていただけたら幸いです。