競馬場のことを調べるために五〇年以上前の三鷹市報を繰っていたら、初めて知ることがあまりに多くて手が止まる。そんな余話からひとつ。
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三鷹が市となった一九五〇(昭和二五)年から今年でちょうど七〇年。三鷹のまちには市政七〇周年を祝う文字が躍っている。
めでたいと言われてもどうもピンとこない。そんな折に、市政三周年の記念事業としてつくられた「三鷹市民の歌」に目が留まった。
市民の歌の歌詞を一般から募集したところ、寄せられた原稿は一五一篇。選考委員には当時の渡邊萬助市長、助役らに加えて、武者小路実篤と三木露風が名を連ねる。言わずもがな、武者小路は白樺派を代表する小説家、一方の三木は「赤とんぼ」の童謡でも知られる近代を代表する詩人。どちらもこの頃、三鷹の牟礼に居を構えていた。
さて翌年二月の市報には、「慎重審査の結果満場一致をもって」という文句とともに入選の一篇と作者の氏名住所が掲載されている。
河西新太郎、高松市一番丁四九番地。三鷹の人ではない。しっくりこないから調べてみたら、小豆島の風景を歌った「オリーブのうた」(服部良一・作曲、二葉あき子・唄)の作詞がヒットした香川県出身の詩人、河西新太郎だった。作曲は芥川龍之介の三男で作曲家の芥川也寸志に依頼。同年五月の市報には河西の詞につけたメロディが載った。
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齢七〇を過ぎた市政のあるべき姿とはどんなものだろう。古きを訪ね、反省の上に立ち、未来を描く。私たちの手で丁寧に積み重ねていこう。
(『そよかぜ』2020年7月号/このまち わがまち)