数学者・岡潔(おか・きよし)の著に『春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)』がある。そこで「クリフォードの定理」が出てくる。岡はその定理を「奇数個の直線は円を決定し、偶数個の直線は点を決定し、直線の数をいくら増やしてもそれは変わらない」と、説明し、「これがいかにも神秘的に思えた」と、言う。言葉だけでは、その神秘さは伝わってこない。だったら、実際に作図するしかない。

 

岡の言葉通りに図を描いていく。奇数個の直線を描く。偶数個の直線を描く。それぞれ直線の数を増やしていく。白い紙には定規で引かれた直線が交わっている。それを見て、手が止まる。この作図からは、神秘的な景色は見えてこない。何度も同じ図を描きながら、この定理を理解しようとする。それが1週間ほど続いた。

 

これまで数学に苦手意識はなく、むしろ得意だった。数学は解法パターンを覚えて、適切に組み合わせるだけの暗記科目。だから、テストの結果も悪くない。ただ、それは数学ではない。数学と向き合っていない。

 

おもしろいもので、霧はとつぜん晴れる。いつものように、図を描いていたとき、岡の言う「円」と「点」の意味をふと感じることができた。理由はわからない。定理に向き合った分、その本質に近づいたのか。それとも、たまたまなのか。ただ言えることは、岡が言葉足らずだということ。その言葉足らずな定理によって、数学に向き合うことができたということ。そして、クリフォードの定理は神秘的だった。

 

人は定理や数式を発見することはできるが、つくることはできない。彼らは、はじめからそこにいるだけ。ただ、簡単には応えてくれない。それでも、なんとか彼らの言葉を聞こうとする。向き合おうとする。そこは辛抱強く。すると、ふいに話しかけてくれることがある。数学はきまぐれ。人と同じように、何を考えているかわからない。

 

問題を解き、正解を探すことが数学ではない。人と同じように思いやりを持ち、じっくりと向き合っていくことで、数学は生まれる。そのことに気づけば、これまでの数学の印象が変わるはず。きまぐれな彼らは、意外と寛容だ。

 

岡部悟志