休みの日は昼前に起きて、紅茶をいれて、とくに上手くもないギターを弾く。学生時代に買った1万円のEpiphoneのギターと、友人から譲ってもらったTaylorのミニギター。この2本をその日の気分で弾きわける。少し前までは、ジャガジャーン、と6弦をかき鳴らしていたけど、最近はフォークソングでしんみりと。

 

フォークソングを聴きはじめたのは、高田渡の「生活の柄」から。「歩き疲れては 夜空と陸との 隙間に潜り込んで」という歌詞が、とても綺麗で、何度もくり返し聴いた。電車の中。散歩中。寝る前。どんなときでも聴いた。心地よい歌詞がスーッと耳へ伝わる。ロックばかりを聴いていた耳をやさしく包み込んでくれた。

 

フォークソングを聴きはじめてまだ浅い。好きな曲をくり返し聴くばかりで、知識は広がらない。だけど、同じ曲を聴きつづけて、気づくこともある。ああ、やっぱり歌は詩なんだな、と。


* * *
 

加川良の「あした天気になあれ」という曲がある。

 

一番電車を見送って
目覚めの紅茶を飲んで
シャツのそでをまくり上げ
オンボロ車に乗って


目覚めの紅茶は飲むが、一番電車を見送ったことはない。シャツのそでをまくり上げて、オンボロ車に乗ったこともない。そもそも車なんて持ってない。自分の生活とは重ならない歌詞。そんな歌詞が6弦のメロディーとともに奏でられる。どうしてか、共感できない歌詞に吸い寄せられる。そして、これが加川良なんだな、とか思ったりする。

 

曲を聴いたからといって、その人がわかることなんてない。わかるはずがない。だけど、なんだか、伝わるものがある。どうしてか、心にしみる。どうしてか、涙が流れる。たぶん、これが詩なんだと思う。フォークソングは共感を得るものではない。手紙のように私たちに語りかける。特定の人ではなく、広く、人間に。

 

ちょっと前に考えた詩がある。30歳にも満たない若造だけど、何かしら想うことはあって、どうしてか詩をつくりたくなった。とくに誰かに伝えたいとかはない。ただ、どうしたって、つくりたくなった。その衝動を抑える理由もとくにない。だから、書いた。

 

自分の中で考えて、自分の中で出す。
誰に伝えるわけでもない。
ただ、独り言のようにつぶやくだけ。

 

だけど、あなたがそこにいる。どうしてか、そこにいる。
あなたがそこにいるから独り言になった。

 

あなたは私の独り言を聞く。私はあなたの独り言を聞く。
怒るでもなく、笑うでもなく、さえぎることもなく。黙って聞く。
そんなあなたに敬意を払いたい。

 

私はあなたのような境地にはない。
だけど、他愛もなく冗談を交わすことができる。
皮肉だって利かせられる。

 

あなたの言葉を理解できないことだってある。
付け入る隙なんてない。そんな隙を見せなくたっていい。
私はその姿を知っているから。その心を知っているから。

 

話さなくてもいい。会わなくてもいい。
久しぶりに会ったとき、嫌みの一つ言えるような。
時間がたっても色褪せない。
そんな友であり続けようではないか。

 

そんなときを想う。

 

* * *
 

なんてはずかしい詩を書いてしまったのだろうか。だけど、書けるうちは書いておく。むしろ書きつづけたいとも思う。それは誰に宛てるでもなく、広く、人間に。

 

20代の理想でしかないこの詩も、ギターといっしょに奏でたらどうだろうか。自分に酔った売れないミュージシャンみたいだろうか。それでもいいか。もし、そんなときがきたら、ジャガジャーン、とかき鳴らすのではなく、スリーフィンガーでしんみりと。

 

暖房で温まった部屋でギターを弾く。気づいたら外は暗い。暖かい部屋で、かじかんだような3本の指。きょうもぎこちなくギターを弾く。

 

岡部悟志