作家であり政治家であった山本有三が三鷹に暮らしたのは一九三六年から一九四五(昭和二十)年までの約九年間。いまは三鷹市山本有三記念館となっている洋館で戦前戦中を過ごした。
 手元にある有三の写真を見る。背景の建物の特徴的な窓の形からして、洋館の南側のテラスで写したものだろう。有三の表情がどこか晴れないのは、この年の四月に国家総動員法が公布され、日本全体が戦時体制へ突き進む様子を憂えたためか。あるいは時代の流れを押しとどめる力を持たぬ我が身を嘆じてか。
 この頃から有三は青少年の教育に注力するようになる。若い世代に未来を託す。それが自身に課された使命であるかのように。
 有三の訳詩で知られるドイツの詩人チェーザレ・フライシュレンの「心に太陽を持て」は次のように続く。

 心に太陽を持て。あらしがふこうと、ふぶきがこようと、天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、いつも、心に太陽を持て。
 くちびるには歌を持て、軽く、ほがらかに。自分のつとめ、自分のくらしに、よしや苦労が絶えなかろうと、いつも、くちびるに歌を持て。
 苦しんでいる人、なやんでいる人には、こう、はげましてやろう。「勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。」

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 戦後、交戦権を放棄した憲法を評して有三はこんなことばを残した。「裸より強いものはない」。
 一九七四(昭和四九)年一月十一日没。八六年の生涯だった。

(『そよかぜ』2021年1月号/このまち わがまち)