何気なく見ていたバラエティ番組で、とある夫婦が紹介されていた。側から見れば、仲睦まじい夫婦。しかし、夫は、誰にも言えない悩みを抱えていた。幼少期、学校でのいじめが原因で、不登校になり、「文字を読むこと、書くことが出来ない」まま大人になったのだ。その事実を、打ち明けられた妻は、「これからは、一緒にがんばりましょう」と、夫を支えていくことを選んだ。みんなができることが、自分はできない。社会に取り残されたような孤独感の中で、妻の、一緒にがんばろう、の一言は、夫をどれだけ救っただろうか。

 

それから、夜間学校に通った夫は、『君へ』と書いた一通の封筒を、妻に渡す。手紙には、妻に対する感謝の気持ちが、何枚にもわたって綴られている。何回も、何回も、書き直したであろう、誤字の混じった文章は、夫から妻へ贈った、愛に溢れた渾身のラブレターだった。

 

遠い記憶ーー。小学1年生の頃。覚えたばかりの文字を、何回も何回も紙に書いて練習した。上学年にもなると、友人と文通を始めるようになり、他愛ない会話を楽しんだ。「どんな内容が書かれているのかな?」「何を書こうかな?」。ワクワクした気持ちで、書くことを純粋に楽しんでいた。

 

今となっては、その行為を手間だと思っている自分がいる。大切な人へ送った「誕生日おめでとう」のメッセージは、スマートフォンの変換機能に、予め用意されたデジタル文字。ついつい、楽なほうを選んでしまう。このメッセージに、あの頃感じていた、思いを伝える楽しさや、あの夫婦のような、相手を思いやる気持ちは、はたしてあるのだろうか。

 

伝え方や、捉え方は人それぞれだとしても、何となく、腑に落ちない。腑に落ちないから、原点に戻ってみる。ひとつひとつ自分の文字で、手間だと思うことを、時間をかけて文字に起こしていく。大切な人たちへ、これまでの感謝の気持ちを込めて。

 

拝啓 ○○○さま

比屋根ひかり