走るのは気持ちのいいことなんじゃないか、と思うときがある。
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10月17日土曜日、雨が降りしきるなか、第97回東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会が行われた。例年であれば、フィニッシュ地点は国営昭和記念公園だが、今年はコロナ感染対策のため、陸上自衛隊立川駐屯地内のみの周回コースで、無観客で実施された。しかし、選手たちのやることは変わらない。ただ、1秒でも速く走り抜くこと。目標の舞台に立つために。仲間のために。走ることに突き動かされた彼らの真剣勝負。
高校生のころに、『風が強く吹いている』(三浦しをん)を読んだのがきっかけで、駅伝を見るようになった。他にも、箱根駅伝の学連選抜を描いた『チーム』(堂場瞬一)、中学駅伝を描いた『あと少し、もう少し』(瀬尾まいこ)、長距離ではないが高校生の400Mリレーを描いた『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子)など、「走ること」を描いた小説を読みあさった。ただただ「速く走ること」を追求しているスポ根ものではなく、どれも登場人物の葛藤や焦燥、人間関係が丁寧に映し出されていて、自分も知っている感情がそこにはあった。「走ること」を通して「生きること」の本質が描かれているようだった。
前に箱根駅伝のVTRの編集に携わったことがある。駅伝ファンとして、立候補せずにはいられない仕事だった。そのときに担当していたディレクターが「俺も、箱根目指して走ってたから」と言っていた。私は純粋に「すごいですね」と返した。その言葉にある「箱根は走れなかった」という意味に気づかないふりをして。
今年の予選会も、数秒の差で涙を飲んだ大学があり、名門の復活があり、テレビにも映らないドラマがある。いま私が、泣いて悔しがれることはなんだろうか。情熱を注いでいるものは。心から楽しいと思えることは。走ることが生きることであれば、目標に向かって走っている人でありたい。
くらもとよしみ