ここ数年テレビのない生活を送っている。テレビを見るのは実家に帰った時くらい。実家でつけっぱなしにされているテレビを見ていると、いままでは感じなかった違和感を覚えることがある。

出演者の張り付いた笑顔。大げさなワイプリアクション。嘘っぽいコメント。忖度とわざとらしさの固まりが映し出されていて、何を見せられているのだという気分になってしまうのだ。

しかしふと思う。テレビは社会の縮図にすぎないのだと。他人の目や世間体を気にし、職場の同僚や友人に本音を隠して生きている人は多いだろう。私も例にもれず、その場の空気を読み、波風を立てないのが大人な対応だと思ってあまり本音を言わずに生きてきた。まあ、たんに傷つきたくない、面倒ごとにかかわりたくないというのが本音かもしれないが。

しかし、最近は本音を隠すのがつらくなってきた。それを実感させられた出来事がある。先日ある飲み会に参加した時のこと。帰り道で一緒になった2人の女性がその場にいない人の悪口を言っていた。表向きは仲良くしていても、影では悪口を言っているなんてよくあることだ。しかし、しばらくそういった場面に出くわすことなく生きていた私にとってはショックな出来事だった。その場で否定も同調もできなかった私は、ただ黙っていた。

後日、一緒に帰った女性のひとりから「この前はありがとう」という連絡があった。いままでの自分なら、波風を立てたくない一心で当たり障りのない返答をしていただろう。もしくは、相手に失望し、連絡を断っていたかもしれない。けれども、今回はどちらも選びたくないと思った。本音を隠してかかわり続けることも、本音を言わずに関係性を断ち切ることもしたくないと思ったからだ。迷った末、帰り道で嫌な思いをしたこと、悪口には付き合いたくないという素直な思いをメールで送った。相手からは謝罪のメールが返ってきた。

自分の選択が正しかったのかどうかは分からない。相手からは「面倒なやつ」だと思われ、陰で悪口を言われているかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。それよりも、本音で生きる一歩目を踏み出せたことが嬉しかった。

30歳を過ぎて本音デビューなんていまさら恥ずかしくもあるが、気づいたときが始め時。ここから「本音を言う」「本音で生きる」を少しずつ実践していきたい。
 

マリエ・アントワネット