8月13日。残業してクタクタで家に帰ると、玄関の前に馬と牛がいた。わたしはハッとして、目を瞑って手を合わせた。わりばしの足が生えた、キュウリの馬とナスの牛。「お迎えできなくてごめんなさい。ゆっくりしていってね」と、馬に乗って先に帰ってきているであろうご先祖様に心の中で話しかけた。

 

お盆に飾られる精霊馬は、主に夏野菜のキュウリとナスで作られる。ご先祖様が速く家に帰ってこられるようにと、足の速い馬に乗ってきて、あの世へはゆっくりと戻ってもらうために、足の遅い牛に乗って戻るという意味合いがあると言われている。なぜ、キュウリとナスなのかは、夏の収穫の報告を兼ねているとか、いないとか、理由ははっきりしないらしい。

 

わが家では、裏庭にある菜園でとれた、いびつな形のキュウリと、長い梅雨のせいで色白のナスが、大役を果たした。見た目はちょっと残念だけど、土いじりが好きだったおじいちゃんとおばあちゃんは、自家製の精霊馬にきっと満足してくれたはずだ。

 

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わたしは生まれてから、20代後半にさしかかった現在にいたるまで、ずっと実家暮らしで、おじいちゃんとおばあちゃんが健在のころは、ザ・二世帯住宅だったから、〈帰省〉概念がまるでない。むしろ、お盆や年末年始は、親戚が〈来る〉ほうの家で、まわりの友だちが〈帰省する〉ことが羨ましかった。

 

ただ、今年のお盆は、いったいどれほどの人が、実家で過ごせたのだろう。また、どれほどのご先祖様が、無事に家にたどり着いてのんびりできたのだろう。「おや、今年はひ孫ちゃんおらんのかい?」「あら、親戚で集まってご飯食べないの?」なんて思われていたり。

 

生きている人びとの繋がりをヨコの繋がりとするのならば、ご先祖様とはタテの繋がりになる。日常生活では、薄れてしまうことが多いであろうタテの繋がりを、お盆のときはちゃんと意識したい。ご先祖様あってのいまの自分なのだから。

 

仕事から帰れば、ご飯が用意されている、お風呂が沸いている、洗濯物が畳まれている、いまではもう実家暮らしさまさま。送り火にも参加できず、仏壇の前に座って手を合わせる。お詫びついでに「もうしばらく実家でお世話になります」と報告しておく。大役を果たしたキュウリとナスを労いつつ、自家製の別のキュウリとナスを美味しくお腹におさめた。

 

くらもとよしみ