同じ言葉でも、相手の表情、表現、話し方によって、まったく異なった意味に変化することがある。たとえば、女性同士の会話でよく耳にする、「すごい」というワード(女性と決めつけるのはどうかと思うが)。
王道な例をふたつ。ひとつは鼻にかかった高い声で、「すご~い!」と使う場合。話の内容に、さほど興味はないが、取りあえずリアクションをとっておこう、という意味が含まれている。わかりやすくいえば、「へぇー(棒読み)」と同じカテゴリーである。もうひとつは、前者よりも声を低めて、「すごっ」と、短く返答する場合。目の前で起きている物事や話題に対して興味を示し、真剣に聞き入ってる状態を意味している。
あくまでも妄想と推測、そしてちょっとだけ体験談の話であって、すべての人にこれが当てはまるわけではない。しかし、多くの女性は、こういう「すごい」をごく自然に、上手に使い分けている。
「本音と建前」が根っこに生えているからなのか。本音と嘘が入り混じった曖昧な表現。はたから見れば、仮面を被った本性がわからない奴。しかし、なぜかこの手の表現を嫌いになれないのは、自分を守り、相手を思いやり慈しむ、人間臭さと、人間社会を生きぬく必要要素が詰め込まれているからだろう。
『本音で語り合おう』なんてフレーズは、もはや時代遅れだ。それよりも、言葉に隠された本音に気付かなければいけない。「大丈夫」に隠された「大丈夫じゃない」に気付かないといけない時代だ。
言葉は、相手の表情、表現、話し方で、異なる捉え方ができる。良い方向にも、悪い方向にも。だからこそ、言葉のもつ意味や、そこに含まれている危うさを注意深く考えて伝えなければいけない。スマートフォン、パソコンに綴った言葉(文字)で、どこまで伝わるだろうか。救える命があるのだろうか。この時代を生きる現代人に、与えられた課題だ。
比屋根ひかり