あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
『あめふり』北原白秋
ピッチピッチは傘を叩く雨音で、チャップチャップは水たまりを歩く音、ランランランは弾む気持ちを表しているんだろうな、と勝手に推測する。傘を開いたまま勢いよく振って、骨組みをひっくり返したり、長靴を履いて水たまりに飛び込んだりして遊んだ、子どものころ。そんなふうに、雨を楽しめたのはいつまでだろうか。
6月に入って、とうとう関東も梅雨入り。朝、髪をきれいにセットしても湿気で広がるし、悪天候に弱い電車は若干遅延してるし、洗濯物は部屋干しで生乾きだし、実にうっとうしい。
あめあめ やめやめ かあさんが おふとん おそとに ほせないよ
ジメジメ ムシムシ ベッタベタ
『あめふり』おとなVer.
なんて、白秋に怒られる。でも、そんな毎日が続いたら、憂鬱な気分にもなる。農家や傘屋、雨の日だけバスを利用している男子高校生に恋する女子高生にとっては、恵みの雨かもしれないが、おおかたの人にとって、雨はポジティブなものとは言いがたい。
が、日本は世界でも有数の雨降り大国。年間で、世界平均の約2倍もの雨が降っているようだ。そのせいか、雨を表す日本語はとにかく多い。梅雨、五月雨、麦雨、どれも6月ごろに降り続く長雨のこと指す言葉。春雨、夕立、秋雨、時雨など時季によっても名前が違うし、篠突く雨、小雨、にわか雨、村雨、など雨の強弱や降り方によっても呼び名が違う。しとしと、ぽつぽつ、ぱらぱら、ばらばら、ざあざあ。英語に訳すときには難しそうな、ささいなニュアンスの違いさえもオノマトペで表せる。
表現が多いこともあり、日本の文学作品や詩歌でも扱われることの多い雨。わずらわしいものであると同時に、見方を変えれば風流になるものまた事実。草木を滑る雨粒や、軒先から滴る雨音、幻想的に山を覆う雨雲など、晴れてばかりでは感じられないものもある。
どうせなら、ほこりにまみれて先が見通せない窓ガラスを雨が洗い清めるように、いま降る雨が慈雨となって、世間を覆う陰鬱な空気をやっかいな粒子ともども洗い流してくれないだろうか。そしたら、雨の日でも、お気に入りの傘とレインシューズで、ランランランと出かけるのに。
くらもとよしみ