テレビを見ていて、絶妙なタイミングで流れる、絶妙な選曲の挿入歌やBGM。その場面を盛り上げる演出のひとつであることは間違いない。夏でも冬でも関係なく流れる、久石譲の『Summer』はいつだって、ノスタルジックにも、感動的にも仕上げてもくれる。たとえ、くだらないことを話していても、なぜかいいことを言っているように見えるのは音響効果のおかげだ。
人間は、目で見ているものの印象を決めるとき、耳で受け取る刺激に大きく影響を受けるという。音響効果は「画(え)」だけでは表現できないニュアンスを「音」で補って、より場面を印象づけている。『ジョーズ』のサウンドトラックや『リング』の主題歌が、それぞれの「怖さ」を倍増されているのは見ての通り、聞いての通り。
わたしがテレビ業界で映像の編集アシスタントをしていたとき、全編集が終わった完パケ(かんぱけ)を見て、編集マンと一緒に泣いてしまったことがある。某駅伝選手だった人が、自らのせいで襷(たすき)を途切れさせてしまい、数年経っても自責の念が残っているところに、恩師の言葉に胸を打たれるというVTR。テロップも入っておらず、整音もされていない状態の白完(しろかん)では泣かなかったのに、音響効果が足された完パケではドラマチックの度合いが増し、涙腺がおおいに刺激された。
「このタイミングでカーペンターズの曲は泣くよ~」
「わたし、栄光の架け橋のオルゴールバージョンとかも弱いんです~」
と、ずびずび鼻をかみながら言い合った。ちなみに、そのときかかっていたカーペンターズの曲は『青春の輝き』。音楽によって生きる映像がある、と実感した。
じゃあ、人の目をカメラとして、日常を映像として見たとき、そこに流れる音楽はなんだろう。たとえば、仕事をしているとき。気の抜けたようなドラえもんの日常のBGMをかけるか、偉大なミッションをやり遂げているかのように『アルマゲドン』の『I Don’t Want to Miss a Thing』をかけるかで印象がガラリと変わる。いっそのこと『情熱大陸』や『Progress』(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」)を流して、どっぷり世界観に酔ってもいい。朝寝坊をして、駅まで走っているときは、『負けないで』か『Runner』か、それとも『兵、走る』か。ゴールはここ(駅)じゃない。
いま見ている光景に音響効果をつけてみる。たいていがドラマなどない平凡な日常。自分のためだけに演出して、運動不足気味の感情に刺激を与える。ただ音楽を聴いて楽しむということではなく、また違った意味で、音楽によって生きる日常があってもいい。
くらもとよしみ