しっかりと整えられた髪。シワのないスラックス。真新しく艶やかな黒い靴と鞄。背筋が伸びて、清潔感溢れる精悍な佇まい。ただ、おしい。ひとつだけ、ものすごくおしい。下ろしたてであろうスタイリッシュなジャケット。その後ろの切れ目、センターベントにしつけ糸がついたままになっていた。

 

電車の椅子に座って、スマートフォンから顔を上げたちょうど目線の先にあった。白い糸で縫われた×(バッテン)。デザインと言われればそれまでだけど、ジャケットのタイプからして明らかに違う。つり革を持つと裾がピンッと張って、ちょっとダサい。

 

気づいたこっちが歯がゆい。無性に気になる。知り合いならまだしも、知らない人に、さすがに指摘はできない。しかも、電車の中で。命にかかわるようなことならともかく、絶妙な欠点や恥は特に言い出しづらい。盛大に開いたままのリュックとか、オシャレ目的じゃない立ったままの襟とか、後頭部の芸術的な寝ぐせとか。めくれ上がったスカートは、一番言ってあげたいけど、言えない。「自分で鏡見て気づいて」「誰か知り合いの人、直してあげて」と願うばかり。

 

そういうちっちゃな恥さらしは、だいたいの人が経験してるはず。自分の後ろ姿は自分じゃあ見えない。外見でこれだけてこずってるんだから、内面なんて見えないものは、もっと見えない。よく言う、自分探しってなんですの。鏡見りゃあそこにいるから。とは思うものの、自分が「何者です」なんて言える自信も到底なく。だからと言って、欠点や恥と一緒で他人が「あなたはこういう人です」って言ってくれるのも稀で。「自分を客観視するのが大切」って、はい? じゃあ幽体離脱の方法教えてください、なんて屁理屈が出るわ出るわ。

 

カフェで、大声で上司のグチを言うOLや、電車の優先席で寝たふりをしてお年寄りに席を譲らない学生に、冷ややか視線だけ送る。それも、口には出さない。結局自分も似たようなことをしたことがあるわけで、バツが悪い。自分の外見を映すのが鏡なら、内面を映すのはきっと他人。

 

盛大に開いたままのズボンのチャックとか、オシャレ目的じゃない髭のそり残しとか、パンダ目になったアイメイクとか、誰も自分がよく見えない。そう思いながら、ブラックアウトしたスマホの画面に映る、自分の散らかった前髪を、俯きがちに手ぐしで整える。胸元についたちっちゃなシミに気づく。お昼に食べたミートソース。あーあ、やっちゃった。私なんて正面すら見えてない。

 

くらもとよしみ