都内にある、とあるマンションの一室が、その人の声で満たされる。一度も会ったことがないのに、昔からの知り合いにばったり出くわしたような錯覚。あのハスキーボイス、少しワイルドに日焼けした顔、飾らない笑顔とやさしい瞳。その人の顔と声を、私はよく知っている。
 

「休みの日は家族で多摩川の土手に涼みに行ったりしますよ。川崎に住み始めたのが25歳だから、もう30年。地元の人たちは同じまちに住む仲間として接してくれるし、やっぱり川崎は心が休まるホームタウンですね」
 

30年前の宮前区といえば、ひたすら田園風景が広がる郊外の空き地同然(失礼!)。「近くにゴルフ場があるから」と先輩に言われるがまま川崎に居を構えたと笑いながら、それでも、坂の多いこのまちを〈日本のサンフランシスコ〉と例えてみせるところに、地元への愛着とプライドが見え隠れする。


〈ヒデキ〉こと、西城秀樹。1955年、広島生まれ。15歳で上京し、1972年、17歳のときに『恋の季節』で歌手デビュー。その後は歌手のみならず、俳優、アーティストとしても幅広い分野で豊かな才能を発揮し、常に時代の先頭を全力で走り続けている。


そんな誰もが知るサクセスストーリーの裏側で、目の前に現れては消え、消えては現れ、嵐のように通り過ぎていったあまりにも多くの出来事を、西城さんはすべて受け止めてきた。


中でも2003年に西城さんを襲った脳梗塞とその後のリハビリ生活は、それまでの人生観を大きく変えるほどの出来事だった。


「こうして元気でいられるのは家族の支えのおかげ。それと、神様に、『君にはまだやることがあるんだよ』と言われたような気がしてね。病気のあとからは、今の自分にできることを精一杯やろうと考えるようになったんです」


さまざまな経験を重ねて55歳になった〈ヒデキ〉は今、一人の男として、夫として、父親として、同世代のリーダーとして、あるがままの自分を楽しみ、大切にできるようになったという。


今、西城さんは野菜づくりに凝っている。ただし、そのスタイルがまた〈ヒデキ〉なのだ。
 

「もともと花が好きで、ジョージーア・オキーフが描く花のイメージなんか最高だよね。野菜づくりもその流れで、野菜の持っている美しさを多くの人に伝えるためにはどうしたらいいのか、自分の役割は何か。そう考えているうちに、農業をカラフルに魅せればいいんじゃないかと気がついた。たとえば、農作業着にファッション性を持たせることで、もっと多くの人に興味を持ってもらえるかもしれないし、アートとしての魅力を感じてもらえるかもしれない。ふだんは目に留まらないようなことでも、角度を変えて、見方を変えて提案してあげると、突然美しく見えることってあるでしょう。人が手を加えることによって、よりきれいになる。そんなふうになったらいいなと」
 

同世代のファッションリーダーとして発信していくことはまだまだたくさんあるという西城さん。これからの目標や理想の姿をたずねると、「無理をしないで、ていねいに一つひとつやっていくだけ」と答え、そして、「引き算の美学、ってやつ」と付け加えた。


歳を重ねることのおもしろさとでも言うべきか、いつまでも若いままではいたくないという強烈な自負というべきか。数多くの酸いも甘いも乗り越え、大人であることの価値を見出した〈ヒデキ〉には、そんなセリフがよく似合っている。

(取材・文=平野有希/『多摩人』2010年秋号・第37号掲載)