私が居住しているシンガポールは、初代首相リー・クアンユーの強いリーダーシップのもと、急速に経済を発展させてきた歴史がある。そのため、国民には国の政策に従うことが自分たちの利益につながるという意識が根底にある。この強力な指導と従順な国民という構造を、最近話題の中心となっている新型コロナウィルスへの施策に垣間見た。
感染拡大を受け、シンガポールは4月3日、サーキットブレーカー措置をとるとの宣言をした。これにより食料品販売や交通などの生活に必須なサービス・重要経済セクターを除いてすべての職場は閉鎖、在宅勤務へ切り替えとなり、学校も約1か月間休校となった。不要不急の外出をしていないか、チェックも厳しい。
この発表があったのが金曜の夕方。翌週の火曜から強制措置開始というかなり強引な対応であったが、表立って政府の施策を批判するような人はいない。これまでも、感染警戒レベルを徐々に引き上げ、外国人の入国制限や、大規模イベント開催に関する規制、職場での体温測定・在宅勤務の要請など、強制力の高い施策を次々と打ち出してきた。
日本ではこのような対応は難しいだろう。同じことをすれば、混乱・反発を招くことは必至だ。4月7日に東京都など7都道府県に対して緊急事態宣言が出されたが、3月25日に閣議で政府対策本部の設置を決定してからすでに12日経っていた。また、緊急事態宣言を出した後も、自宅待機はあくまで自粛・指導であり、強制はできないという。
国の規模も法規制なども違うので単純に比べることはできないし、さまざまなことを考慮したうえでの対応なのだろうが、シンガポールのスピーディーで強固な政策に慣れると、日本の政治の展開の遅さや強制力の緩さ、策の曖昧さは何とも言えず歯がゆく感じる。
1週間ほど前のこと。東京都の街頭インタビューで、「外出自粛要請についてどう思うか?」という問いに対し、「自粛ではなく家から出るなと国に強く言ってほしい。自由度が高く、生活を制限しようとは思わない」と答える若者が映っていた。どこかの偉い人たちが、強いリーダーシップを発揮して世の中を良い方向に導くだろうという期待と、国民に判断を委ねている政府の考えに大きな隔たりがあるように感じた。
求めれば情報はいくらでも手に入る時代。強い指導者に盲目的に従えばよいという環境でないとすれば、得られた情報から判断し、何をするべきかを自ら考え行動することが求められている。
サルマ