いまや、子どもからお年寄りまで、この人の歌声を聞いたことがない人はいないかもしれない。天真爛漫でマイペースな性格。独特の世界を持っている歌姫。川のせせらぎに浮かぶ浮草のような、ふわりとしたキャラクター。そんなイメージがあった。


「のんびりしてるねってよく言われるんですけど、のんびりしてるように見えるだけで、実は頭の中はけっこう忙しく動いてるんですよ。見た目と中身が違うだけです(笑)」


声が深い。


平原綾香さんが話しはじめると、すぐに気がついた。平原さんの存在を際立たせているのは、ホールの空間を感じさせるような声の響き、深さだ。そして、自分の言葉で語るにつれて、表からは見えない本当の平原綾香がいることに、もう一度、気がつく。


「小さい頃は恥ずかしがり屋で心配症でした。いまの性格とは少し違っていたのかな。でも、人の性格って、その基になってる部分は変わらないんじゃないかと思うんです。その時代、時代で、表に出てくるものが変わるだけで、その人の本質はきっと変わってない。たしかにのんびりしている部分もあるけど、心配性な部分もまた出てきたりして、あ、これも私なんだなって」


2人姉妹の妹は、中学生のころに、すでに姉が通っていた洗足学園の学園祭で見たミュージカルに強烈にあこがれた。その後、姉と同じ道を進むことを希望して、洗足学園中学高等学校に高校から通いはじめた。


「中学生のころから姉のあとをついて、溝の口にはよく行っていました。家族で姉が出ているミュージカルを観に前田ホールにも行きました。高校生になって自分が洗足に通うようになって、もっと溝の口駅前にくわしくなるかなと思ってたら、学校は『寄り道、買い食い禁止』だったんです。だから実はあんまり詳しくないんです(笑)。大学生になってからは、友だちといっしょに近くのちゃんぽん屋さんとかパン屋さんによく行きました。でも、やっぱり、みんなでミュージカルの練習をいっしょうけんめいやっていたことが一番の思い出ですね」


これまでに平原さんの声に癒されてきた人がどれほど多いか、想像に難くない。2005年の新潟県中越地震の際、ラジオから繰り返し流れてきたのが、平原さんのデビュー曲でもあり、多くの人の心に訴えた、『Jupiter』だった。あれから6年が経った。


2011年3月11日に発生した東日本大震災を目の当たりにして、いま、平原さんはあらためて歌の力を思い返している。


「いまの私にできることは歌うことだからといって、こちらから押しつけるものではないと思っています。音楽を聞きたいと思ってくださる方がいて、その気持ちに応えること。歌でその方々の心に寄り添うこと。そうすれば、自然と聞いてくださっている方が、前を向けるようになる。音楽にはもともとそういう力があるんです」
 

平原さんの言葉に、「音楽はもともとそれぞれの人の中にあるもの」というフレーズが繰り返し出てくる。私たちは、人生のそのとき、そのときにぴったりと当てはまる音楽を選んで生きている。嬉しいとき、楽しいときには、気分が盛り上がる音楽を。悲しいとき、苦しいときには、心に寄り添うような音楽を。『Jupiter』の歌詞にある、「ひとりじゃない」という言葉は、「音楽はいつでもあなたの心に寄り添っているんだよ」「いつでもここにいるよ」と、静かに語りかけている。


最後に、平原さんからのメッセージをお願いすると、大学時代の恩師、洗足学園音楽大学教授の篠原真氏の言葉を紹介してくれた。


「篠原先生は、『〈がんばる〉、というのは、ふつう〈頑なに(我を)張る〉と書くけれど、それよりも、みんなで笑顔になれるように、〈顔が晴れる〉という字を思いなさい』ということをおっしゃっていました。〈顔が晴れる〉で〈顔晴る〉。みんなも笑顔になれるし、それを見て自分も笑顔になれる、すてきな言葉だと思います。みんなが元気に、笑顔になれるように、私にできることをいっしょうけんめい〈顔晴り〉ます」


心を込めて歌うことの大切さをしっかりと胸に刻んで、平原さんはこれからも歌い続ける。だれもが、晴れやかな笑顔で過ごせる日が一日も早く来ることを願いながら
 

(取材・文=平野有希/『多摩人』2011年春号・第39号掲載)