先週の日曜日に、近所に新しくオープンしたカフェがあるからと、買い物ついでに立ち寄った。新しいカフェの店内は明るくて、ポップな音楽が流れていて、チャイティーとナントカカレーとアボカドまぐろ丼セットがメニューにあった。どこかで入ったことのあるような、よくあるパターンのカフェだった。

 

日本でカフェと言えば、若い女性たちが、週末のランチのために、下北沢か代官山か表参道までおしゃれをして出かけていくか、そうでなくて地元のカフェでもシャワーを浴びてから出かけるイメージだ。でも、この「女子カフェ」「カフェガール」たちは、輸入元、つまり本場のカフェを勘違いしている。と、思う。

 

パリのカフェはもっと忙しい。まず、カフェは食事をするところだ。それも毎日の朝食、昼食、夕食のすべてを一つのカフェでまかなう客もいるくらい、言葉どおり、朝から晩までカフェで過ごすことができる。そして、実は、「ドゥ・マゴ」も「フロール」も「フーケ」も、店構えはそれほどおしゃれではない。パリのカフェは日本人にとっての駅前の定食屋だと思えばいい。見た目よりも内容、食事とサービスの勝負だ。もっとも、日本人の感性からすれば、その年季の入った店内やそこの常連だった有名作家たちをひっくるめて、おしゃれだと思うのかもしれない。

 

しかし、順番はあくまでも、食事、サービス、見た目。だが、はたせるかな、そんなパリのカフェにあこがれた日本人がカフェをはじめるとなると、この順番はあっけなく逆になる。見た目、サービス、食事。見た目も雰囲気も店内に流れる音楽もいいけれど、おいしい食事とこころのこもったサービスにはかなわない。客だって、このご時世、雰囲気だけにお金を出すほどノーテンキではいられない。生き残るカフェは、基本ができているお店。ハラが減っては勝負にならないのである。

 

H・ヒルネスキー