坂本竜馬の少年時代の逸話にこんなものがある。竜馬は近くの川へ泳ぎにいくことを日課としていた。その日はあいにく雨が降っていたが、竜馬は傘もささずにずぶ濡れのまま川のほうへ歩いていた。通りかかった人が、「どうして傘をささないのか」とたずねると、「どうせ川で濡れるんじゃきに。雨で濡れようが川で濡れようが同じこと」と答えた。竜馬の合理的思考を象徴する話である。現代のスポーツでいえば、水泳の競技会は雨天決行でもかまわない、ということになろうか。
イギリス発祥のスポーツには、オールウェザー型のスポーツが多い。ゴルフ、サッカー、ポロ、クリケット、そしてラグビー。一方で、アメリカ発の競技には雨天中止となるか、あらかじめドーム型または屋内の全天候型スタジアムが完備されていることが多い。野球、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーなどその典型だ。
両者を比べてみると、世界中で競技人口の多いスポーツのほとんどがイギリス発祥のものである。屋根を必要とせず、いつでもどこでもできることがメリットだ。ただし、それはあくまでプレイヤーの視点であって、観客の存在を意識したショービジネス的感覚はとぼしい(雨の中でのプレーを希望する選手はほとんどいない、ということはさておき)。
スポーツには、それを行う者(プレイヤー)と観る者(観客、ファン、サポーターなど)というふたつの立場がある。ここで、プレイヤーと観客、どちらを優先すべきかについては論を俟(ま)たない。観客はなんとなればカウチポテト(テレビ観戦)でよいのだから。それに、スタジアムの上のほうから豆粒のような選手を見て喜ぶくらいなら、臨場感たっぷりで解説までついているテレビ観戦のほうが何倍も試合を楽しめる。
一方で、テレビ中継のない試合はどうだろう。試合会場でしか観ることができないとすれば、わざわざ足を運んでくれた観客をもてなすのは、これまたしごく当然のことではないか。雨天決行ならば、観客のために屋根をつける。移動型のスポーツ(たとえば、ゴルフ)であれば、大きい傘を貸しだすくらいのことは、観客のほうから要求してもよいくらいだ。
結局のところ、雨天決行の裏側にあるのは、主催者サイドのスケジュール管理、興行収入とチケット払い戻しのコストであって、プレイヤーも観客もどちらも計算の外なのだ。
H・ヒルネスキー