「おとうさん、ねぇ見て! 」

小学生くらいだろうか、男の子の大きな声に驚いて、スマートフォンを見ていた顔を、はっと上げた。

平日のお昼時。私の勤めている会社は、オフィス街で、少し歩けば住宅地にさしかかる。その周辺には、小さな公園や広場がいくつかある。父親だと思われる男は、今もなお、スマートフォンに夢中だ。少しくらい子どもに目を向けなよ、そんなことを思いながら、自分も目の前の父親と同じことをしているのだ。

 

もうすぐ、春がやってくる。最近は、陽の当たるお気に入りの場所で、お昼休憩をとるのが好きだ。そういえば、ここに辿り着くまで、ずっとスマートフォンを見ながら歩いていたな、そして今も。あの父親のように、目の前の大切な瞬間も、あっけなく見逃しているんだろう。きっと、そんなことにも気付かずに、忙しなく過ぎていく日々を生きている。

毎日まいにち、この小さな箱に振り回されている。だけど、この小さな箱の大きくて広い世界から抜けるのは、怖い。生きているのに、死んでしまったような、そんな感覚がどうしようもなく怖い。

 

デスクにスマートフォンを置いて、アウターの右ポケットに、読みかけの文庫本を忍ばせてみた。大きさは同じくらいか。触り心地は違えど、心無しか柔らかくてあったかい。

 

お昼休憩、いつもの場所まで前を向いて歩く。話し声と、笑い声、建物の間を通り抜ける風の音が鮮明に耳に入ってくる。イヤフォンより意外と心地良いかも。紙から伝わる優しい言葉たちに、安らぎと癒しを感じる。心がちゃんと休憩している。きっと、ゼロにはできないから、少しだけ変えてみる。なんだ、案外目の前の景色も広くて大きいじゃん。

 

比屋根ひかり