最近人から「意識高いですね」と言われ、気恥ずかしい思いをした。本来「意識が高い」というのは褒め言葉のはずである。私に「意識高いですね」と言ってくれた人も、多分純粋に褒めてくれていたと思う。しかし、数年前に「意識高い系」という言葉が流行ったことから、勝手に揶揄する響きを感じ取ってしまった。
「意識高い系」というのは、大きなことを言う割には中身がともなっていなかったり、見掛け倒しだったりする人のことを指す。就活において自分を大きく見せようとする大学生を揶揄する言葉として使われはじめたそうだ。この言葉を聞くと私は居心地が悪くなり、その場から逃げ出したくなる。自分のなかに多分に「意識高い系」の要素があることを自覚しているからである。
一応ことわっておくと、私は自分を実力以上に大きく見せようと過剰演出するタイプではない。しかし、意識高い系の特徴のひとつである「行動がともなっていない」という点は大いに当てはまる。そして、なんとかモチベーションをあげようとセミナーに通ったり、自己啓発本を読んだりしていた。
いろいろな自己啓発に触れてきたが、結局はどのセミナーや自己啓発本も「行動せよ」ということを、手を替え品を替え言ってるにすぎない。はっきり言って、ぐるぐるとムダなことを考えずに行動できる人には不要だと思う。しかし、世の中には自己啓発を必要とせずにはいられない人種がいる。彼らにとって自己啓発とはモチベーションや希望の源であり、自分を肯定するために不可欠なものなのだ。
「意識高い系」の人は、一見自信があるように見えて、実は自己肯定感が低いのだろう。理想と等身大の自分との間にギャップがありすぎるからこそ、自分を受け止めきれず、ハリボテの知識で自分を防御しようとする。
私は自己啓発が好きで「意識高い系」の要素をもった自分が嫌いだった。しかし、それこそが等身大の自分である。まずはいまの自分を受容することからはじめたい。人の成長は、自分を受容した時からはじまっていく。
マリエ・アントワネット