先日、あるスタートアップ企業の、ちょっとギョッとするようなタイトルの記事を目にした。品種改良したウジ虫を家畜の飼料や畜糞の処理に利用することで循環システムを構築し、将来やってくるであろう世界的なタンパク質不足の危機回避を目指すというものであった。

 

長年研究を重ね、将来に期待が持てる貴重な技術ではあるが、孵化したサナギを乾燥させて家畜に食べさせる、という過程はごく平凡な日本の食生活を送ってきた人の感想としては何となく抵抗がある。

 

もうひとつ、食に関して最近ショックを受けたといえば、中国の一部地域でコウモリを食べる文化がある、というニュースだ。世界的に猛威をふるっている新型肺炎を引き起こすコロナウィルスの感染源は、このコウモリであるという説もある。

 

ウジ虫とコウモリ、一般的な感覚であれば、両方ともあまり良いイメージはない。直接食べる、または飼料として家畜に食べさせる、という違いがあるにせよ、普段あまり関わり合いになりたくない生き物を私たち人間の食の連鎖に組み込んでいる点ではまさに紙一重だと思う。

 

しかしながら、結果的に人間に与える利害には雲泥の差がある。なぜだろうか。かたや今までの食習慣に従いコウモリを食べていた中国の人たち。かたやウジ虫を循環に組み込めないか知恵を絞ってきた企業。運命を分けたのは、両者の食に対する探究心と好奇心、そして情報量の差ではないだろうか。

 

コウモリの食文化は今やおぞましい光景として非難の目にさらされているが、もしも研究に時間を費やし、人に害を及ぼす可能性のあるウィルスが潜んでいる危険性を知り、清潔に食肉加工する技術が発展していたなら、今ごろ人類を救う食材のひとつになっていたかもしれない。

 

食文化も科学技術の進歩に合わせて、今までの習慣のみにとらわれず、常に新しい情報を取り入れ更新していく必要があると、ふたつの生き物は教えてくれている。

 

サルマ