今日は寒くなくていいですね。
とてもいいです。
洗濯ができます。
本氣で助かります。
さて、斎藤一人さんが動画で
「離婚してもいいから、会社辞めてもいいから悪口を言わない」
「それぐらい悪口はよくない。言うと人生がわるくなる」
と話されていました。
いやーホントにそう思います。
たぶん見渡してみると、現状を変えられないから、旦那さんや家族、会社や上司の愚痴を言うことで均衡を保とうとしている場面がたしかにあると思います。
だからお酒を飲んで、お茶やランチをしながら、愚痴を言い合うという場面が社会には必須なんだと思います。
だからひとりさんのこの発言は真逆を行きますよね。
なので愚痴や悪口でも言わないとやってられないような、現状が苦しいと感じる人に、「愚痴言うな」というのはとても酷なことだろうなぁ とも感じます。
でも優先順位が真逆だからこういうことが起こるんですよね。
前提が
「悪口を言うことが最もしてはいけないこと」
と捉えている人
「現状を変えることが最もしてはいけないこと」
と捉えている人
ということですよね。
うわー
あと、ひとりさんいわく
「悪口を言わない挑戦」
「我慢と挑戦は全然ちがう」
「我慢は一歩後退する」
「我慢からは恨みしか生まれない」
うーん
ですよね。
(古きよきとされる母親像の大半は「我慢」の中にあったのではないかしら。
ある芸人さんのエピソードトークで、代々続いた漬物屋を、旦那さんが死んでからずっと守っていたおばあちゃんが「漬物屋なんて本当はしたくない」と、唐突に店を閉めた話が思い出されています)
おなじ行動、状態でもまるで意味がちがう。
あたりまえですね。
ここに「引き寄せ」をあてはめてもいいのかな?
あたまの中の世界がちがうから、それ相応の世界が次に待っている。
そらそーやわさ。
全ての我慢が、挑戦にかわる世の中でありますよう。
というより
世の中というか、自分でありますよう。
というか、
我慢したくないし、挑戦をしていたいので、
そうします。
最後までご覧いただきありがとうございました!
ちなみにこの「ルビンの壺」は、どっちつくか、ていうのの例えで使わせてもらっただけで、ひとりさんのお話とは関係ありません🙇🏻♂️
ひとりさんのお話はこちら⬇︎
(※魂がどうとか、浄化がどうとか、スピリチュアルな要素とか、自分がよく知らないから抵抗感がある、とかいうような表面上のものを削いで今年も生きていきたいと思います。)