なんだかすごーい
気合いはいってる~


小野田先生に引き続き、梅花女子大学の東四柳先生の講義…
ですね。
テーマは「食文化史の観点から見た日本の精進料理」
神代から幕末あたりまでの日本の精進料理の歴史をお話して下さるのですが…
東四柳先生、はやい。。
まさにかけ足の40分。
情報量多すぎてアップアップでしたが、なんとか追いかけます。
かつて学生時代に、講義中先生の一言ももらさずに書き取ろうとした無駄な情熱が再びよみがえります。
こうすると要点が埋もれて、結局は逆に勉強が滞るのですが、
それは置いといて。
あきらめた中高年のおじさまは途中からトリップされていました。
私も追いかけなければ、舟こいでいたと思います。
学生時代はよくこいでいました。
そしてしょっちゅう沈没していましたね~。
は、置いといて。
ざっくりまとめると
⚫︎昔から魚介類は食されていたけれど、
仏教伝来ののち、天武天皇が初めての肉食禁止令を期間限定で出したそうな。
でも慣れ親しんだシカ・イノシシは別に食べてよくて、よくよく見ると肉食すると稲作が失敗するから、という理由によるものだったようです。
⚫︎でも奈良時代から仏教が国家鎮護宗教として強くなっていき、その後も続けて殺生禁止令が発令。
⚫︎平安期は天災・飢饉・外患がひどすぎて、仏教が浸透した宮中では現世・来世の安穏を祈願し日を決めて精進が流行したそうです。
でも仏教をよく知らない庶民にはあんまり関係なかったそうです。
⚫︎鎌倉期は留学僧も帰国して新しい民衆的仏教が広まり、栄西や道元禅師による禅宗文化や禅寺の精進料理がぐんぐん発展して行ったそうな。
魚もどきなんかもこの頃から作られてるみたいです

⚫︎室町期は禅寺の間食、点心でうどんやお饅頭も広がりをみせていったそうです。
⚫︎江戸期は黄檗宗の隠元禅師の普茶料理が普及します。
お茶を飲みながらの意見交換、からの皆さんへの労をねぎらうためのお料理。
中国大陸からやって来た隠元さん。普茶料理もそれまでの精進のような銘々膳、油をあまり使わないものとは違い、大皿盛りで円卓を囲むスタイル、油たっぷりで濃厚な味付けだったそうです。
お寺の中だけでなく一般のお料理屋さんとしても登場していきます。
⚫︎江戸も後期になると、普茶料理はお酒と共に楽しまれるようになったそうです。
かなりはしょりましたが、こんな感じの流れです





講義はやや押し気味で終了。
この後は禅僧の方のお話になります。
この普茶料理ですが、バリエーションがすごい!(>3<)





後半で、実際にかつて黄檗宗・萬福寺にいらっしゃった住職さんが大量にそのお料理の数々を紹介して下さります。
それはまた別のお話でm(__)m
つづく
☆★☆私もビーガン(純菜食)で生活をしております。肉•魚•卵•乳製品をとらない食事です。