片付けをしていて、ずいぶん前にゴミ処理施設見学に行った時にもらった「京都市横大路学園」のパンフレットが出てきました。
一緒に見学に行ったH木さんは、それまでに自分も同じ作業を少しの時間体験させていただいたことがあったが、ベルトコンベアのスピードが早くて目が回り、立っているのもやっとでとても作業どころではなかったと話されていました。
京都のゴミもそうですが、大別して燃やすゴミと資源ゴミに分かれます。
資源ゴミは かん、びん、ペットボトルと、プラ容器に分かれます。
他にも雑紙とか小型金属とかありますが割愛します。
袋は有料で、燃えるゴミ用が5リットル袋10枚入りで50円~
資源ゴミ用が10リットル袋5枚入り25円~
とかで売られています。
これだけはどこの格安スーパーに置かれていても、絶対に割引は行われません。
さて、燃えるゴミは町から離れた山の中などにあるクリーンセンターへ運ばれて焼却されます。
残った灰や燃えなかった分は「エコランド音羽(おとわ)の杜(もり)」という所にに埋め立てられます↓↓↓
そして資源ゴミの内、かん、びん、ペットボトルですが、こちらはご存知のとおり分別はされて新たな資源としてリサイクルされます。
同じく資源ゴミである「プラ容器(プラスチック製容器包装)」もリサイクルされるわけなのですが、京都市民が指定通りに分別してルールに沿ってプラ容器をキレイに洗ってまとめて捨てていてくれれば、そのまま使えます、
が、そうはいきません。
ベッタリ汚れたプラ容器包装をそのままゴミ袋に入れたり、再生用として使い物にならない物をいっしょくたに捨てていたり、
そもそも分別すらしていない場合もあります。
なかには危険物などが捨てられていることもあるようです。
そんなものは最終的にどうやって分別しているの?
もちろん人の手です!
でも作業員の皆さんは使えないゴミを黙々と選別して、先ほどあげたように危険物、中には注射針などもあるようで、そういった物も扱わなければいけない。
だけど、われわれも分別に迷うような物も現場の彼らには間違いなく分けてもらわないといけないので、作業所の入り口などに大きく引き伸ばした「間違えやすいもの」の写真が、これは×これは○という感じでいっぱい貼られていました。
それを見て、
なぜ私たちにこの写真と同じくらいのアピール度で教えてくれないのだろう。
と思いました。
リサイクルできないから。
危険物を入れないで。
なぜか。
ゴミを運ぶ人や分ける人が危ないから。
出してしまえば後は知ったこっちゃない。
よく見られる空氣。
「ゴミ箱があるからゴミができる」
と、ドイツの徹底的なる分別を見てから思っていましたが、
「ゴミ」という概念は、ゴミの行く末を考えないようにする洗脳としか思えない。
消えてどうにかなるわけでないのに。
誰かがどうにかしてどうにかなっているのに。
自分が捨てたゴミを、そんな方たちがそんな風に分けているなんて知りませんでした。
自分と関わるものは全てつながっているのに、見なくてもいいようにするからドンドン困ったことが生まれると思います。
上の冊子でも、ゴミの行き先をわかりやすく紹介するコーナーがあってもいいのではないかなぁ。
そうしたら、これこれは捨てないで下さい、こうして下さい、ということばだけでは起こらない
あぁ、そうかぁ。
というおもいが、自然とお願いしているとおりのゴミの出し方につながるような氣がします。
ゴミに限らず、いま自分が使っている物も、食べる物の来た場所もおなじですね。
お肉もチョコレートも紙もスマホも、もっともっとクリアな世の中になればいいな。
そうすればもっとみんなで、みんながうれしい方を選んでいけるんじゃないかと思います。
ちょっと一つ見たからってなんだかえらそうに書きましたが、それ以上に知らないことだらけだからこそ自分に対して言っているし、皆さんのお立場で氣付いたことをもっともっとシェアし合える世界になれたら本当にいいなと思っています。
それと知的障害の方が分別しているからどう、ということでもなく、やっぱり全てに言えることだとも思います。
というか、障害という表現も、見る角度と当てはめ方一つじゃないでしょうか。
~長くなりました(>_<)
最後にもう一つ

集めてかためられたプラ容器ゴミは、遠くの工場へ運ばれてプラスチック製品にリサイクルされるということでした。
ここで知ったこととは別に、プラスチックを重油にかえる技術もあるようですが、とにかくもっと敬意ある心でありたいです。
必要以上に作り出す感覚が移っていきますように!
長いひとりごと最後までご覧いただき本当にありがとうございました!!m(__)m(>_<)