哲科のつぶやき。その6もギリシアで。 | そよぎめぐみブログ

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神仏大好き、お化けは苦手。何が見えても聞こえても、生きていくのだどこまでも。

自分を知ることの大事さと言う話では、
ギリシア哲学の話題じゃなくても、
この人を外すわけには行かないかもしれない。

ソクラテス。
倫理とか徳とかについて考えた人。

知らない人は全然知らないと思うので、
是非今回、名前だけでも覚えてもらえたら。
・・・新手の漫才師の紹介みたいだ。



彼の弟子が、デルフォイの神託所で
「ソクラテス以上の賢者は?」と問うたら、
「おらん」と言う返事が来たのだそうで。

ソクラテスは、自分が賢者だなんて
何かの間違いだろうと思い、自分が賢者ではない
証拠を掴むために、様々な人と話をした。
自分より賢い人がいれば、それで反証になるからだ。

政治家、賢者、熟練技師などと話すうちに、
彼らが自分の知識について、知っていることと
知らないこととを区別できていないことに気づく。
そして、逆にそのことについて、ソクラテスが
諭すことになって、神託の内容についても気づく。


自分が何を知り、何を知らないかを知っている。
無知を自覚できること(「無知の知」と呼ばれる)。
神託は、そのことを「賢い」と言っているのか。


それから彼は、知ったかぶりを看破し、
きちんと知ることの重要性を説いて行く。

一部からは熱狂的な支持を受けつつも、
論破された人達からは憎まれることも多く、
結局死刑を甘んじて受けることになる。

助けてくれようと言う人も沢山いたのに、
その手を全て振り払い「善く生きる」を実践した、
その態度には、賛否両論あると思う。



でも、大切なのは当時のソクラテスが
どうすべきだったかではなくて、
そんな彼の態度を見て、私たちが少しでも、
自分を知って楽しく生きるには、という点だ。

彼は、自分に対して気持ちを曲げなかった。
神託を受けてからは特に、自分に嘘をつかなかった。

自ら毒ニンジンの杯を煽る時も穏和だったのは、
やりきった感覚に役目の終焉を感じたからだろう。

自分の役目に気づくには、
人のために我慢していては、無理だ。
人目を気にして態度を変えていても、ダメだ。
自分に甘えて、好き放題していても、意味がない。

心からやりたいことが、誰にでも、ある。
それは、自分のためでもありながら、
人を楽しませることもできることが多い。
それに気付き、生活の主軸の一つに組み込む、
全てはそこから始まるのだと思う。



若いうちは、それに気づかなくて当たり前。
若くなくなったら、それに気づけないとツライ。
大体40歳位が、その分岐点なのかなと、
来年40歳になる私としては、思えてならない。