哲科のつぶやき。その5はギリシアで。 | そよぎめぐみブログ

そよぎめぐみブログ

神仏大好き、お化けは苦手。何が見えても聞こえても、生きていくのだどこまでも。

これまで書いて来た話は
中世から近代に展開されたもの。
ここで一気にギリシアの時代まで遡ってみよう。

物理学も、数学も、哲学も、
物事の真髄を突きとめようとする学問が
既に沢山あったと言われている頃だ。

相変わらず、私が大まかに覚えている内容で
自分が考えたことを書こうと言う話なので、
そこはちょっと違うし、と言う点はご容赦頂き。



最初に盛んに議論なった題目は、
世界は何でできているか、世界の根源(アルケー)は
一体何なのか、という話である。

電子顕微鏡が開発されたおかげで、今の時代には
物質が原子からできていることになっている。
そういうものがなかった当時は、世界の様子から推して
火だ、水だ、普遍なものだ、と様々な論が提唱された。

証明方法が少ないので、それはもう喧々諤々と
やっていたのであろう絵が目に浮かぶ。



しかし意外にも、よく見るとその根本には、
一つの同じ思想が横たわっている。
「全てのものは変化して行く」という認識だ。

だったら変化する「水」が根本でしょう、いやいや、
変化するためには根本は変化しちゃまずいから
「普遍」では?という具合に、話が乱舞していた。

「万物は流転する」との一言は、
ヘラクレイトスが言ったとされているが、同時に、
ギリシア哲学を代表する一言でもあったわけだ。



現代、色んなことが詳しくわかり、
それでもまだまだ未知のことが多くて、とは言いつつ、
文明としては大分成熟しているように見える中で、
「万物は流転する」と言う状況は、未だに変わらない。

私たち自身も生まれてから死ぬまで、
自覚の有無に関わらず変化を繰り返し続け、
街も、国も、いずれは姿形を変えて行く。

変化して行く状況の中で、変化する私たち自身は
どんな風に生きようか、という問いも出て来る。
実際、私もそれが見つからずに、本当に長い間、
心身ともに苦しい状態が続いていた。

万物が流転するなら、現状は永遠には続かない。
その中で、今現在を楽しく生きることや、
極力悔いを残さないように自分の心と向き合うことが、
「どんな風に生きるか」を探す一助になるのだと、
本気で気づくまでは。

実際、私たち人間が世界を研究するのは、
私たち自身を知るためでもあると、心から思う。
自分を知ることが大事だと言う話は、
次のギリシア小話に、続けたい気がしてきた(笑)。