今日の走り書き。

 

思考がすこーしゆるんでいるので

キリっとした言葉が

出てこないかもしれない。

 

 

 

人がひとりひとり

見ている世界

感じていることは

他の人とは、分かち合えない。

 

そんなの当たり前に

わかってたことだけど

 

昨日あたり、しみじみと

体にしみわたった。

 

わたしは

 

説明できる、と

思っていたんだと思う。

 

説明すれば、

かなりわかりあえる

 

言葉を駆使すれば

気持ちは伝わる、と。

 

 

それは、たしかにそうなんだ。

だから、言葉があるのだけれど

 

実は、言葉で伝えあっているものは

わたしたち、それぞれが

感じていることの

ほんとにほんとに上ずみの

ほんの数パーセントなんじゃないか。

 

ほんの数パーセントの共通項。

それが言葉。

 

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抽象的な「言葉」よりも

「エピソード」のほうが

気持ちをわかちあえたりもする。

 

ドラマや映画、物語は

そうなんだろう。

 

わたしは、だから

ドラマや映画、物語が好きなんだと思う。

 

だれかの中に入り込んで

なにかを体験して

その人とわかりあえた気持ちになるから。

 

あ、こういうとき

こんな気持ちになるよね

わかるなぁ、って。

 

でも

それさえも、

「共通項」でわかりあうにすぎないんだな、って

最近、思う。

 

同じ体験をしたって

感じる世界はみんな違うのだから。

 

たとえば

「家族が手をつないで

 笑顔で歩いてる」

っていうエピソードは

 

おそらく、多くの人にとって

「幸せ、楽しい」って体験だな、

と認識できる共通言語。

 

 

でも、その「幸せ感」は

ひとりひとり、違うものだし

「幸せ」でさえない人も

いたりするはず。

 

でも、共通の「言葉」や「イメージ」

を使ってコミュニケーションするほうが

効率がよいから、わたしたちは使う。

 

だって、それらを使わなかったら

五感を使って触れ合える人以外とは

コミュニケーションできない。

 

遠くにいる人、

出会ったことのない人と

コミュニケーションするには

共通言語が必要なんだ。

 

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それでも

身近にいる人、よく話している人とは

けっこう、わかりあっているような気になる。

 

だけど、意外と

家族と話しているときも

顔は見ないで、何かをしながらとか

テレビを見ながらとかが

多かったりする。

 

言葉のコミュニケーションって

ほんとに楽ができるんだね。

 

子どもが小さい頃は

いつでも顔を見て、目を見ていないと

意思疎通ができなかったのに。

 

でも、本来、

自分と他者それぞれのワールドは

まったく共有できないものなのだから

いっぱい、言葉以外の要素を

キャッチしたほうがいいんだろう。

 

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「気持ちに温度差を感じる」

って、恋愛では、よく聞く言葉。

 

うんうん。

わかる~~、あるよね

って思うけど

 

実は、これも、上ずみの

ほんの数パーセントを

すくっているに、すぎないのだな。

 

温度差もなにも

相手とはすべてがちがうんだから。

 

そんな、1つの尺度で

はかりきれない。

温度計みたいな1つの尺度。

 

すると

「お互い、好き合っている」

というときの、

気持ちは、相手とは、まったく

別物だったりするんだろう。

 

「愛しいと思う」

「大切だ」

という気持ちも。

たとえお互いに、そう口にしたとしても

その内実は、まったく計り知れない。

想像するしかない。

 

つまり、自分が感じていることがすべて、

ってことなんだ。

 

それしかない、ってこと。

 

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じゃあ、わたしとはらぺこくんが

毎日チャットで交わしている

文字情報は、なんなのだろう?

 

その日にあったこと

感じたこと

たわいもない愚痴、

季節のこと、

ただの言葉あそび

ガチの話し合い

 

そんなことを、延々と繰り広げる。

 

話が合うなー

通じるなー

って思っていたけれど

実は、表層の数パーセントで

交流しているにすぎないんだろう。

 

 

きっと、はらぺこくんは

ずっと前から

わかっていたんだと思う。

 

言葉というものの、頼りなさを。

 

彼は、それ前提で

チャットのコミュニケーションを

味わっているんだと思う。

 

 

言葉の頼りなさを知っているから

 

わたしから彼に送る言葉は

その下の下にあるものの

氷山の一角だと知りながら

 

彼は言葉を頼りにして

そこを感じ取ろうとする。

 

だから、彼から返ってくる言葉は

わたしの深くに届くことが多い。

 

チャットに疲れず、飽きず

ずっと続けられるのは

きっと、そのおかげ。

 

言葉という

ほんのすこしの共通項で

相手とコミュニケーションする力は

 

言葉のその下にあるものを

豊かに理解する力で支えられているんだな。

 

言語と非言語。

 

ひとりひとりの感じているものを

まるっと共有できることは、

絶対にない。

 

だから

わたしたちが、少しでもわかちあえる

言葉というのは、

やっぱりすごく愛しいもので

 

 

「しょせん、自分の感じている世界

 以外は、感じることができない」

という孤独をしみじみ思うと

 

わたしたちは

言葉を欲しないではいられないのだろう。

 

 

(おしまい)