貧血ギャールズ・ブラボー

貧血ギャールズ・ブラボー

東京在住のライターが見つめる、日々の泡ごと。視点はおもにセンチメンタリズム、ニヒリズム、ジャイコイズム。2007年より、ドラマチックすぎる難病と格闘中。数年後さえ予測できない皮肉な運命に混乱しながらも、かいま見える人生のかけらはせつなくて、泣けるほど美しい。

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久しぶりに自分のブログを発見し、

奇跡的にログインもでき、

再投稿するにあたった今。

 

なんと。

2023年5月現在。

生きています。

 

ものすごくいろいろありましたが、

生きている。

 

このブログで昔の自分に邂逅し、

日々生きていることへの感謝が色濃いことに

とてもとても、ハッとしたのだ。

 

焦燥感。小さな穴から傍観するあきらめ。

軽めの希望。重い要望。

 

文字のすきまに見え隠れする、

今より若い自分が愛おしいなあ。

 

 

ありがとう生きてて。

あの頃とはまた違う環境で

違う壁にぶつかっているね。

 

でも、これまでもそうだったように

また乗り越えていこうね。自力で。

 

また自分に会えて、よかった。

 

なんだかこのまま書かなかったらずっと書かないままになってしまいそうで。

もはや5年前の記録なんだね。

たかが5年。
だけど30代の5年は激動だよね。

私は、余命をとっくにすぎて、とっても元気に生活している。
お酒は飲めなくなっちゃったんだけど、深夜まで働くし不規則に生活してるし。
それが不思議。

その間にはいろいろあった、2年前には緊急入院して
両親はここまでか、って思ってたって。

この頃の父の日記を盗みみたら、「左向きでしか横になれないソイが肩が痛いというので
さすってやった。もう骨と皮しかない身体。かわいそうで涙が出る。なぜこの子が。」


・・・泣けてくる。これ自分のことなんだけど、お父さんが不憫で不憫で、しょうがない。

その後いろいろな療法(西洋医学以外ね)を試して
ここ最近はありがたいことに普通の生活ができるほど安定している。

そしてすべてが健常のような生活を過ごしていると、いつのまにか
自分が過ごした年輪がうそのように感じる。
7年をタイムトリップしたかのよう。

でも、ほんとはそんなことない。
誰よりも、生きたいと必至で願い必至で毎日を生きてきたんだから。
人間だから、愚かだから忘れてしまう。こんなに特別な毎日を。


だからもう一回、ちゃんと記しておきたいと思った。


もう、5年前に書いていたお友達とはほぼ会っていないなあ。
デートしてた男の人はもちろんね。
女の子は、自分で決めて距離を置いた。
男の人は、お互いがなんとなく離れたり、むこうから離れていったり。

なんとも思っていなかった女の子と、親友になったり。
仕事はすっかり仕切れるようになり、クリエイティブディレクターを名乗ってる。

ゆったりゆったり、じっくりじっくり、変化してるね。

変化の芽を摘むがないように、できるかぎり書き続けていこう。
どういう一年になるのかな。
書くこととも、もう一度向き合うことになりそうだ。

平日の夜に映画を観るのが相変わらず好きだ。


風立ちぬ、監督のニュースがなかったら、きっと映画館では観なかった。

そのミーハーさだって、出会いの指にははいるでしょう。



あの映画のすごいところは、主人公の一番の葛藤を一切描かなかったところ。


それゆえに、主人公の愛の形が色濃く浮き出るように描かれていた、と思う。