想定不可能の未来 | 貧血ギャールズ・ブラボー

貧血ギャールズ・ブラボー

東京在住のライターが見つめる、日々の泡ごと。視点はおもにセンチメンタリズム、ニヒリズム、ジャイコイズム。2007年より、ドラマチックすぎる難病と格闘中。数年後さえ予測できない皮肉な運命に混乱しながらも、かいま見える人生のかけらはせつなくて、泣けるほど美しい。

なんだかこのまま書かなかったらずっと書かないままになってしまいそうで。

もはや5年前の記録なんだね。

たかが5年。
だけど30代の5年は激動だよね。

私は、余命をとっくにすぎて、とっても元気に生活している。
お酒は飲めなくなっちゃったんだけど、深夜まで働くし不規則に生活してるし。
それが不思議。

その間にはいろいろあった、2年前には緊急入院して
両親はここまでか、って思ってたって。

この頃の父の日記を盗みみたら、「左向きでしか横になれないソイが肩が痛いというので
さすってやった。もう骨と皮しかない身体。かわいそうで涙が出る。なぜこの子が。」


・・・泣けてくる。これ自分のことなんだけど、お父さんが不憫で不憫で、しょうがない。

その後いろいろな療法(西洋医学以外ね)を試して
ここ最近はありがたいことに普通の生活ができるほど安定している。

そしてすべてが健常のような生活を過ごしていると、いつのまにか
自分が過ごした年輪がうそのように感じる。
7年をタイムトリップしたかのよう。

でも、ほんとはそんなことない。
誰よりも、生きたいと必至で願い必至で毎日を生きてきたんだから。
人間だから、愚かだから忘れてしまう。こんなに特別な毎日を。


だからもう一回、ちゃんと記しておきたいと思った。


もう、5年前に書いていたお友達とはほぼ会っていないなあ。
デートしてた男の人はもちろんね。
女の子は、自分で決めて距離を置いた。
男の人は、お互いがなんとなく離れたり、むこうから離れていったり。

なんとも思っていなかった女の子と、親友になったり。
仕事はすっかり仕切れるようになり、クリエイティブディレクターを名乗ってる。

ゆったりゆったり、じっくりじっくり、変化してるね。

変化の芽を摘むがないように、できるかぎり書き続けていこう。
どういう一年になるのかな。
書くこととも、もう一度向き合うことになりそうだ。