“数珠”といえば、仏具の一つに数えられますが、実はお釈迦様は数珠を使っていませんでした。
『木槵子経(もくげんしきょう)』というお経では、お釈迦様が木槵子という玉を108個貫いて数珠を作り、疫病の流行に苦しむ波流離国の王に仏法僧の名を唱える毎に珠を繰る方法を教えたと記されていますが、どうも此の『木槵子経』は中国で書かれた偽経と見られ、甚だ信用度の低い書物のようです。
考古学的資料として、仏教と数珠との関わりを示す最古のものは、アジャンターの石窟の壁画に描かれた数珠を持つ観音像で、観音の描かれた第17窟は5世紀末~9世紀頃の成立と見られていますから、お釈迦様の時代よりずっと新しいものです。
原始仏典を拠り所とするスリランカやタイなどの南方仏教徒は基本的に数珠を使用しませんし、初期の大乗経典にも数珠は登場しません。
修行僧が所持を許されていたものは「三衣一鉢」だけで、その後徐々に所有を許されたものとして「比丘六物」「比丘十八物」がありますが、そこにも数珠は入っていないのです。
バラモン教の根本聖典の一つである『アタルヴァ・ヴェーダ』には、
「朝夕に数珠の助けをかりて、毎日彼にガーヤトリー詩を百回低唱させるべきである」
とあり、古くからバラモンたちが数珠を用いていた形跡がありますが、或いは、バラモンの持ち物であることを嫌って、お釈迦様は数珠を用いなかったものでしょうか。
何れにせよ、仏教に数珠が取り入れられたのは、お釈迦様よりずっと後の時代のことのようです。
溝田悟士先生は、2世紀、カニシカ王朝下の仏教僧院において数珠が誕生したとの説を提示しておられます。
(『修行僧の持ち物の歴史』参照)