近代インドの聖者で、其の人気においてラーマクリシュナと双璧を成すのは、やはりアルナーチャラのラマナ・マハリシ(1879~1950)でしょう。
OSHOは、『私が愛した本』のセッション11で、
5番目は、マハリシ・ラマナの本だ。それは本というほどのものではない。「私は誰か」と題された小さなパンフレットにすぎない。
ラマナは学者でもなかったし、教育も受けていなかった。
わずか17歳のときに生まれ故郷を後にし、二度と戻らなかった。
本当のふるさとを見つけたとき、誰が生まれ故郷など戻るだろう?
彼の方法は、「私は誰か?」と問いかける、自分の内奥の核に向っての素朴な探求だ。
彼こそは「エンライトンメント・インテンシブ」の本当の意味での創作者だ。
その発明家のふりをしているどこかのアメリカ男や、アメリカ女などではない。
私はこれはたいそうな本ではないと言った。
だがその人間は偉大だ。
時には私は、小人物、ごく月並みな人間によって書かれた偉大な本を挙げることもある。
今私は、ごく小さな本、ほんの2、3ページのパンフレットを書いた本当に偉大な人物に触れている。
これ以外は、彼は常に沈黙していた。
彼はごくわずかしか、ほんの時たましか話さなかった。
カリール・ジブランなら、もしマハリシ・ラマナの所に行っていれば、途方もない恩恵を受けることができたはずだ。
そうすれば彼は「大師の御声」を聴くことができただろう。
マハリシ・ラマナもまた、カリール・ジブランによって得るところがあっただろう。
なにしろジブランは、比類のない書き手だった。
ラマナは貧しい書き手だった。
カリール・ジブランは貧しい人間だったが偉大な書き手だった。
このふたりがいっしょになれば、世界にとっての祝福になっただろうに。
と言っています。
残念ながら、ラーマクリシュナは写真しか残っていませんが、ラマナ・マハリシは映像がいくつか残されています。
晩年の映像ゆえか、かなり体がかしいでるのが気になりますが、若い頃の写真を見ても、軸が立っておらず、グニャっとなっているので、ハタヨーガのような肉体をコントロールする術に長けた方ではなかったように思われます。
十代の頃、瞑想仲間が渡印して来たというので、お土産にアルナーチャラの赤い石をもらいました。
探してみましたが、どこに仕舞い込んだものか、一向に出てきません・・・。