家族一族~ウィンウィンの関係をめざして1 | *わきあいママの和氣的生活 *

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ありがたいかけがえのない日常と旅日記を綴っています。

7月も中旬ですね。

実母の介護認定も定まりまして、
先週からショートステイを短い日程でいきはじめました。


4月からのながれを思いおこすと
やっとたどりついた選択が、
みんなにとってのウィンウィンのかたちになったのではないかと!
いま、わたしは、
こころから安堵し、
根拠もなくすべてが上手くいくと信頼でき、
わたし自身は
わくわくの気持ちまでわきおこっているのです❗


この怒濤の日々、仕組まれているかのような展開、ふきだす各々の感情、からだのサイン、いろいろな采配、

整理するためにも、書きたいと思ってましたが、
書いてみることにします!

ヘビーな内容になりますので、
必要と感じられたかたのみお読みくださったら嬉しいです(*^^*)



義妹 家を建てる

今年3月の末、実弟の奥さん(わたしにとっては義妹 ここではAさんとします)のお母様が旅立たれました。
Aさんは自分も病気をもちながら、仕事もしながら、7~8年前からお母様の面倒をみてきました。

弟とAさんは長男長女の結婚でしたので、それぞれが、それぞれ自身の親を看るというかたちを選んでいたのかもしれません。
Aさんと弟は結婚してからずっと、2世帯住宅でわたしの両親と暮らしていてくれましたが、
お母様が亡くなられる3年前からAさんは子どもたちとご実家に住み、
お母様の介護と子どもたちの世話と、障害をもつ妹さんのお世話と仕事をがんばってこられていました。


お母様のために寒くないオール床暖房とバリアフリーを完備した家をお母様と建てることになり、
契約をすませたすぐに、お母様が残念ながら亡くなられたそうです。




Aさんはいつこっちの家に戻ってくるんだい?

実家の母の気持ちはこうでした。
待ち焦がれ待ち焦がれていたようです。



Aさんがお母様の介護のために、弟と別居のかたちをとり、
母は母なりに弟の食事づくりなどがんばってきましたが、
80歳半ばになり、バトンタッチしたかったのだと思います。

孫もいなくなり、弟は夜遅く帰り朝早くいく勤務で、さみしさもマックスだったのかもしれません。



Aは帰らないよ!
といったらばあちゃん激怒

と弟からラインもらい、
わたしの旦那もまじえて家族会議をしたのが
4月はじめのことでした。



Aさんいわく、
もう介護はしたくない。
自分の家を建てて住みます。
と…

弟は、
母の住んでいるかぎり、そこに住むと…
つまり、夫婦別々に住むと…
なんの問題もないと…



わたしは、夫婦のかたちはいろいろだし、 
嫁の立場はわかっているので、Aさんの気持ちもよくわかるのです。
財力があればわたしだって家を建てて気ままに過ごしたい!

といいました。

ましてや、実のお母様の介護を何年も続けてこられたのだから、もうしたくないというのはよくわかります。


半狂乱になっているわたしの母にいいました。

Aさんのお母さんのお気持ちも考えてさしあげないと…
障害のあるむすめさんをAさんに託していかなければならない。家を整えるのは悲願だったにちがいないと…


でも、なにをいっても母の怒りと不安はおさまらず、
情緒不安定になり、高血圧をひきおこし、
緊急入院となったのが4月上旬


毎日病院に通い、
実家の行く末についても楽観的でいるように話をしたりしてました。
母は、わたしの次女夫婦についでもらえたら…とか、そんなふうに考えるようになっていきました。

すこし元気になり、
母が退院した日、
だんなが心筋梗塞で緊急手術
入院、自宅療養…


ここで、
ずっと違和感を感じていた
同居している旦那の母親つまり姑の不聡明さにほんとあいそがつきました。


つづきます