資本と賃労働の利害関係は?

 

第十一章、競争が階級に及ぼすことは?

 

資本主義の下での競争が激化すればするほど、生産方式と生産手段が絶えず拡大され革命化され、分業が必然的にそれ以上の分業を引き寄せ、機械の使用が必然的にそれ以上の機械の使用を引き寄せ、大規模な労働がさらに大規模な労働を引き寄してしまう。この法則は変わらない。これこそが、絶えず古い轍(テツ)から旧生産方式を突き落とし、現場で生産している労働者一層緊張させる法則であり、資本に休息を与えず、絶えずその耳元で叫ぶ法則である。労働者よ!進めよ、進めよ!一生懸命に働けよ!これは商業の周期的変動の中で、必然的に商品の価格をその生産費に調整する法則に他ならない。資本家がいかに強い生産手段を持ち込もうとも、競争はその採用を一般化するのである。

 

しかし、販売量の多さによって販売価格の低さを凌駕するためには、恐らく1,000倍もの市場を見つけなければならないので、もはや広範な販売は、より大きな利潤を得るためだけでなく、生産費に取って代わるためにも必要(生産手段そのものは、これまで分かってきたように、常により高価になる)であり、このより広範な販売は、販売者だけでなく、そのライバルにとっても死活の問題となったので、旧来の闘争を再び始めなければならず、それは既に発明された生産手段がより強力であればあるほど、一層激しくなる。従って、分業と機械の利用は、新たなスタートを切り、さらに大きな規模で行われることになる。

 

使われる生産手段の力がどんなものであれ、競争は商品の価格を生産コストにまで引き下げることによって、この黄金の果実を資本から奪い取ろうとする。安くなる生産と同様の尺度、すなわち同様の労働量でより多くの生産が可能になることと同様の尺度において、競争は不可抗力的な法則によって、さらに大きな生産の安売り、すなわち、より小さな価格でより大量の生産物の販売を強いる。こうして、資本家は、その努力によって、同じ労働時間でより大きな生産物を供給する義務、すなわち、資本を有益に使うためのより困難な条件以上のものを得ることはない。従って、競争がその製造原価の法則をもって絶えず追いかけ、彼らがライバルに対して鍛造するあらゆる武器を、彼ら自身へ敵に回す一方で、資本家は新たな機械が競争によって時代遅れになるまで待つことではなく、労働のさらなる細分化と、より高価ではあるが、より安く生産することを可能にする新たな機械を、落ち着きなく導入することによって競争から最善のものを得ようと絶えず努力していると思われる。

 

今、この「熱狂的」であると言える動揺が全世界の市場で起こっていることを想像すれば、資本の成長、蓄積、そして集中が労働の益々細かい細分化、古い機械の益々大きな改良、新たな機械の絶え間ない適用をどのようにもたらすのか理解できるかもしれない。しかし、生産資本の成長と切り離すことのできないこれらの条件は、果たして賃金の決定にどんな影響を及ぼすのか?分業制度が進むと一人の労働者が5人分、10人分、20人分の仕事をこなすことができるようになり、労働者間の競争が5倍、10倍、20倍と高まる。労働者は一方を他方より安く売ることによって競争するだけでなく、一方が5人分、10人分、20人分の仕事をすることによっても競争している。資本によって導入され、着実に改善される分業によって、労働者はこのように競争せざるを得ないのである。さらに、分業が進めば進むほど、労働は単純化される。

 

こうなると、労働者の特別な技能は無価値になる。肉体的にも精神的にも弾力性のない、単調な生産力へと変貌してしまう。そういうわけで、競争者は四方八方から労働者に圧力をかける。さらに、仕事が単純であればあるほど、また習得が容易であればあるほど、その生産コスト、その習得に要する経費は少なくなり、賃金はより低くならざるを得ないということを忘れてはならない。従って、労働がより不満足になり、より抱くようになる嫌悪感と同様のように競争は激化し、賃金は低下する。労働者はより多くの時間働くか、同様の時間数でより多くのことを成し遂げるかによって、より多くの労働を行うことによって、一定時間の賃金の総額を維持しようとする。こうして欲望に駆り立てられ、労働者自身が分業の悲惨な影響を倍加させる。

 

その結果として、働けば働くほど賃金が減る。そして、この単純な理由から、働けば働くほど、仲間の労働者と競争することになり、自分自身と競争し、自分と同様のような(惨めな)条件で自らを差し出すことを余儀なくされるのである。機械も同様の効果をもたらすが、その規模ははるかに大きい。機械は熟練労働者を非熟練労働者に、男性を女性に、大人を子供に取って代わらせ、新しく導入されたところでは、労働者を大量に路上に放り出し、機械がより高度に発達し、生産性が高まるにつれて、数は少なくなるが、さらに労働者を使い捨てにする。我々は、資本家同士の「産業戦争」について、大まかな概略を急いで描いた。この戦争には、戦闘が労働者の軍隊を動員することによってよりも、排出することによって勝利するという特殊性がある。将軍(資本家)は、誰が最も多くの産業兵士を排出できるかについて、互いに争っている。

 

主流派の経済学者は、機械によって余剰となった労働者が新たな雇用の場を見つけることは確かだと言う。しかし彼らは、その解雇された労働者が新たな労働の分野を見つけるとは、あえて直接には断言しない。実は、この嘘へあまりにも声高に叫んでいる。厳密に言えば労働階級の他の部門、例えば、廃止されたばかりの産業に就こうとしていた若い世代の労働者の一部に、新たな雇用の場が見つかると主張しているだけである。勿論、これは障害者の労働者にとっては大きな満足できるものである。そうなると、資本家階級にとって搾取可能な新鮮な血と筋肉が不足することはない。

 

この慰めは、むしろ労働者よりも資本家自身の慰めを意図しているように思われる。「労働階級」の概念が機械という新たな技術によって消滅するとしたら、賃金労働がなければ資本でなくなる資本なら、どれほど恐ろしいことなのか!しかし、機械によって雇用された場所を追われた人々や、同様の産業部門で雇用の機会を待っていた新進世代が、実際に何らかの新たな雇用を見つけたと仮定しても、その新たな雇用が、失った雇用と同様のように高い賃金を支払うと信じられるのか?万が一、そうであるとしたら、政治経済の法則に反することになる。近代産業が常に、より単純で従属的な雇用を、より高度で複雑な雇用に置き換える傾向にあることは、これまで見てきた通りである。それでは、機械によってある産業部門から放り出された大量の労働者が、より低賃金でない限り、どうして別の部門に逃げ込めるであろうか?この法則の例外として、機械の製造に従事する労働者が挙げられる。産業界で機械への需要が増大し機械の消費が増大すると、必然的に機械の数が増加し、その結果として、機械の製造も増加し、結局は機械による製造業に従事する労働者の雇用も増加すると言われている。

 

1840年以降、それ以前でさえ半分しか真実でなかったこの主張は、もはや真実の面影をまったく失ってしまっている。これは何故なら、最も多様な機械が今では綿糸の製造と全く同様の規模で、ただ機械の製造に応用されており、機械を使っている工場で雇用される労働者は非常に独創的な機械と並んで、非常に愚かな「人間の機械」の役割を演じることしかできないためである。それでも、機械によって解雇された男性の代わりに、工場は恐らく、三人の子供と一人の女を雇うかもしれない!そして、その三人の子供と一人の女性には、以前はその男性の賃金で十分であったはずではないか?最低賃金は、種族の保存と伝播のために十分であったはずではないか?それでは、これらの愛すべき資本家の言葉は果たして何を証明するのであろうか?

 

全員が労働者の一族があるとしたら、彼らが生計を立てるために、以前の4倍の労働者の命が費やされていることに他ならない。要するに、生産資本が成長すればするほど、労働の分業と機械の適用が拡大する。労働の分業と機械の利用が拡大すればするほど、労働者間の競争が拡大し、労働者の賃金は共に縮小する。さらに、労働階級は社会のより高い階層からも採用される。小資本家や資本の利子で生活している人の集団は、労働階級の隊列に押し込められ、彼らは、労働者の腕と並んで腕を伸ばす以外にすることがなくなる。こうして、仕事を求めて伸ばした腕の森は益々太くなるが、腕自体は益々細くなる。小規模の製造業者が、より大規模な生産が成功の第一条件であった闘争の中で生き残ることができないことは明白。そんな製造業者が、それによって労働階級の候補者の数を増やしていることは明白ではないか?

 

資本家が上述の運動によって既に存在している巨大な生産手段を、益々増大する規模で利用することを余儀なくされ、この目的のために、あらゆる信用の源泉を動かすのと同じ尺度で、産業の地震を益々増大させ、その中で商業界は、その富の一部、その生産物、さらにはその生産力さえも下界の神々に捧げることによってのみ、自らを命を守れる。それは生産物の量が増え、従って広範な市場の必要性が増すのと同様であるだけ、世界市場も益々縮小し、搾取される市場が益々少なくなるためである。資本は労働の上に生きているだけではない。支配者のように、そして同時に野蛮なように、資本は危機の中で滅びる奴隷の死体、すなわち労働者の大群を墓場へと引きずり込む。そういうわけで、資本が急速に成長すれば労働者間の競争はさらに急速に成長するのである。すなわち、労働階級の雇用と生活するための手段は、それに比例して、さらに急速に減少してしまう。この容赦ぼない競争の連鎖と、社会の諸階層に及ぼすより広範な影響について、さらに掘り下げてみよう。資本主義競争の本質は資本家に、競争相手より一時的に優位に立てるような技術革新を絶え間なく求めさせる。

 

しかし、こうした技術の革新はそれが新技術であれ、改良された機械であれ、より効率的な生産方法であれ、普遍的に採用されるにつれて、すぐに標準となる。こうして、生産性の向上が標準的な期待になるにつれて、一人の資本家がこれらの技術の革新を実施することによって得たかもしれない当初の優位性は、益々侵食されていく。資本家階級にとって、これは終わりのない競争を示す。各資本家は競争力を維持するために、常に新技術や方法に利益を再投資しなければならない。この再投資は屡々信用の動員を必要とし、金融市場への依存とそれに伴うリスクの増大に繋がる。絶えず技術の革新を行い、生産能力を拡大しなければならないという圧迫は、資本主義体制の不安定性を悪化させて、好況と不況のサイクルを引き起こしやすくする。好況時には資本家は生産を拡大し、労働者を増やし、生産高を増やす。しかし、この拡大は必然的に「過剰生産」、「市場の飽和」、次に訪れる「経済的危機」、すなわち不況をもたらし、余剰生産物が売れなくなり、間もなく解雇、倒産、そして景気後退に繋がる。中小企業の経営者や独立した職人を含む中産階級は、この体制では特に脆弱である。

 

生産の規模が拡大し、より効率的になるにつれて、小規模の生産者は、より大規模な企業のより低い価格とより高い生産高に太刀打ちできなくなる。小規模の生産者は自分の工場の廃業に追い込まれるか、大企業に労働力を売ることを余儀なくされ、労働階級の層は厚くなる。小資本家階級は、経済的地位を維持しようとして労働力をより集中的に搾取したり、劣悪な労働条件を提案したりする。しかし、これらの手段は、大規模の企業との圧倒的な競争に対抗するには、屡々不十分なのである。小資本家の吸収と機械による労働者の移動によって労働階級が拡大するにつれて、労働者間の競争は激化してしまう。各労働者は身近な同業者だけでなく、増え続ける労働力の森とも競争しなければならなくなった。このような労働者の余剰は、労働者が雇用を確保するために低賃金を受け入れることを厭わなくなり、賃金を引き下げる。

 

さらに、分業による人間の仕事の単純化によって、多くの仕事に必要な技能が低下し、労働者というものは容易に代替可能な存在となった。労働能力の切り下げは労働者の交渉力をさらに低下させ、賃金の低下と劣悪な労働条件をもたらす。上記の過程は悪循環を生むのである。賃金が下がると、労働者は生活費を稼ぐために長時間労働を強いられたり、複数の仕事を掛け持ちせざるを得なくなる。これにより労働力の供給がさらに増え、労働者間の競争が激化し、賃金はさらに下がる。労働者同士の競争が激化すればするほど、労働者は条件の悪化を受け入れざるを得なくなり、搾取と不幸が永続化する。

 

この永続的な競争状態と、その結果として生じる経済的不安定性は、社会的にも政治的にも重大な意味を持っている。資本が少数者、すなわち資本家階級の手に集中することで、経済的不平等と社会階層が拡大してしまう。資本家階級は生産手段を支配し、莫大な富を蓄積することで、政治及び経済的制度に不釣り合いな影響力を持つようになる。この影響力によって、資本家階級は屡々労働階級や中産階級を犠牲にして、自らの権力と財産をさらに強固にすることで政策や規制を形成できる。こうなると、労働階級は生活水準の低下と高まる不満に直面し、ストライキや抗議行動、賃金や労働条件の改善の要求として組織化し、抵抗することがある。しかし、政治的及び経済的手段を資本家が掌握する資本主義体制は、搾取と不平等の根本的原因に対処しない弾圧や表面的な譲歩で対応することが結構ある。資本と労働の利害関係は基本的に相容れないので、結果として生じる社会不安や紛争は資本主義体制に内在するものである。

 

工場の過剰生産と市場の飽和によって、資本主義体制に定期的に勃発している危機は、この体制に内在する矛盾を浮き彫りにする。こんな経済的危機の間、ほとんどの資本家は、大量解雇や賃下げによって費用を削減して、自らの富を守ろうとする傾向がある。労働階級はこうした措置の矢面に立たされて失業、貧困、そして社会的な混乱に直面してしまっている。景気の後退期における労働階級の苦しみは、資本主義の搾取的性質を浮き彫りにしている。そんなシステムー経済的不安定の重荷ーは、それに最も耐えられない人々に不釣り合いに伸しかかる。結論として、資本主義体制に内在している絶え間ない競争は資本家階級、中産階級、そして労働階級に深刻な影響を及ぼす。資本家にとっては、リスクと不安定性を孕んだ革新と拡大の終わりのないサイクルを示している。中産階級にとっては、経済的脆弱性と地位の低下をもたらす。労働階級にとっては搾取の激化、賃金の低下、そして生活環境の悪化をもたらす。資本主義の制度的不平等と内在する矛盾は、階級間の紛争と経済的不安定を引き起こし、社会及び経済秩序の根本的な変革の必要性を強調している件である。労働階級の革命として搾取と不平等の根本原因に取り組むことによってのみ、より公正であり、より公平な社会を実現できる!