賃金はどのように決まれるのか?

 

第七章、資本の本質と、その成長の原理は?

 

社会関係と物質的生産手段との間の複雑な関連性を目の当たりにすると、資本の深遠な本質に驚嘆(キョウタン)せずにはいられない。それは有形資源の集合体としての物理的な形を超越して、資本家階級を支える社会関係の複雑な網の目の反映となっている。資本を構成する生計手段、労働手段と材料は、単に恣意的に蓄積されたものではなく、特定の社会的条件の中で綿密に作り上げられ、蓄積されてきたものである。これらの条件は労働がどのように組織され、資源がどのように配分され、価値がどのように生み出されるのかを規定する有力な生産関係によって作られている。そういうわけで、資本は単なる物質性を超えて、経済力と社会力学の複雑な相互作用を反映する社会的規模、交換価値を体現している。

 

生産手段及び労働力を一つの言葉として言うと「資本」である。資本というものは、その本質において単なる物的資源の集合体以上のものである。資本は資本主義社会における富の生産と分配を支配する歴史的及び社会的関係を具体化したものである。それが農産物、産業機械、そして金融資産として現れるにせよ、資本はそれが生産された社会的条件の刻印を伴っている。資本のこの社会的性格はその本質に内在するものであり、経済的価値だけでなく旧社会秩序を永続させ、強化する役割をも果たしている。従って、この「資本」の概念を完全に理解するためには、その物理的な形を越えて、その存在を支える社会的関係を探求しなければならない。実際、資本は進化し続ける形を取りつつも、その本質は不変である。綿であれ羊毛であれ、米であれ小麦であれ、蒸気船であれ鉄道であれ、その基本的な性質は変わらないのである。

 

変容の中でのこの不動性は資本の永続的な回復力、すなわち時代の変化の波、その流れに耐える能力を物語っている。この固有の安定性こそが、資本に永続的な力と影響力を与え、社会的及び経済的生活の輪郭を深遠かつ広範囲に形成しているのである。資本の不屈の性質は単にその物理性の産物ではなく、それを支える社会関係に深く根ざしており、社会への資本家の支配力をより強化し、資本主義社会に内在する階級的対立を永続させている。さらに、資本は驚くべき適応力と拡張力を持っている。富の蓄積の原動力として、今も資本は絶えず新たな投資と成長の道を模索している。

 

技術の革新であれ、領域の拡大であれ、金融の投機であれ、資本は利潤の追求に執拗(シツヨウ)である。この拡大への意欲は、経済の発展の軌跡だけでなく、資本主義社会の社会的及び政治的な力学をも作り出す傾向がある。資本家間の競争を煽り、創造的破壊の過程を推進し、一国の社会内の富と権力の分配を再構築する。従って、資本の回復力はその安定性だけでなく、絶えず変化する状況の中で社会への支配力を永続させる、その耐えずに変化し適応する性質にある。しかし、「単なる交換価値」と「真の資本」を明確に区別することは必要である。あらゆる交換価値の総和はそれ自体が固有の価値を持っているが、あらゆる商品の集合体が資本として認められるわけではない。資本は、単なる蓄積の領域を超越し、今の資本主義社会に固有の資本主義的生産関係を体現している。資本がその真の姿を現すことは、資本主義的関係の坩堝の中であり、深遠かつ広範囲な方法で社会的及び経済的景観に影響力を及ぼす。

 

あらゆる交換価値の総和はすべて交換価値、あらゆる交換価値は交換価値の合計なのである。例えば、10万円の価値のある家は10万円の交換価値であり、100円の価値のある紙切れは、ただ100分の1円の交換価値の合計である。他の商品と交換可能な商品もただの「商品」である。それらが交換可能である明確な割合が交換価値、すなわち、貨幣で表現すれば価格を示す。これらの商品の数量は商品としての性質、交換価値を表すものとしての性質、一定の価格を持つものとしての性質には何の影響も及ぼさない。木が大きくても小さくても、「木」であることに変わりはない。鉄を1千円で交換するか、1万円で他の商品と交換しようが、それが「商品としての性格」や交換価値を変えるであろうか?その量によって、鉄はより価値の高い商品にも、より価値の低い商品にも、より価格の高い商品にも、より価格の低い商品にもなる。

 

それでは、商品や交換価値の総和は、どのようにして資本になるのか?それは独立した社会的力として、すなわち社会の一部の力として、労働者自身を保持し、生きた労働力との直接の交換によって増大するためである。自らには「労働能力」だけしか持っていない階級の存立は、資本主義の必然的前提である。蓄積された労働に資本の性格を刻印するものは、過去の蓄積されて物質化された労働が、直接的な生活労働に支配されることだけ。資本は、蓄積された労働が新たな生産の手段として生活労働に奉仕するという事実によって成り立っているものではない。ただ生きている労働者が、その交換価値を維持し増殖させる手段として、蓄積された労働に「奉仕」するという事実によって成り立っているのである。

 

資本の本質は、単にその物質的構成にあるのではなく、資本主義社会に内在する権力的力学の現れである社会関係としての役割にある。それで資本は階級支配の強い道具として機能し、労働者階級の搾取を永続させ、資本家階級の覇権を強化する。さて、社会主義の変革の可能性、とりわけ資本の原理を通じた賃金への影響に目を向けよう。資本主義の枠組みで、賃金は労働力の価値と表裏一体であり、労働力は商品化されて市場の指示に従う。労働者は、その労働力を資本家に売ることで、労働能力を維持し、再生産するために必要な生計費に相当する賃金を受け取る。しかし、剰余価値(労働者の労働力によって生み出された、労働力の価値を超える超過価値)は、資本家によって利潤として計上される。

 

資本主義の下の賃金制度に内在するこの矛盾は、不平等を永続させ、資本家階級の支配を強くする。資本が蓄積し、労働力を再生産し、労働階級を犠牲にして資本家階級の権力と富を強くすることは剰余価値の抽出を通じて。しかし、社会主義の変革的ビジョンは、労働力の商品的地位を廃止することによって、この搾取的地位を覆そうとしている。社会主義社会では、労働は市場で売買される単なる商品ではない。代わりに、労働は共同体的な努力となり、一部の特権階級のために利益を生み出すものではなく、社会のニーズを満たすことを目的とする。この労働の目的の根本的な転換は、利益が主導する資本主義の倫理観からの深い脱却を示し、労働の本質的な価値が認められ、尊重される新たな時代の到来を告げるものである。社会主義は、労働を商品化の束縛から解放することによって、労働者に力を与え、労働によって生み出された富が社会のあらゆる構成員の間で公平に共有される、より公正であり、より公平な社会を築くことを目指す。社会主義で、生産手段は労働者自身によって集団的に所有及び管理されるので、根本的な変革を遂げる。生産は、利益の追求よりも共同体のニーズを優先する計画に従って組織化され、賃金を含む資源の分配が公平及び公正の原則に基づくことが保証される。

 

賃金はもはや雇用主の利潤の動機ではなく、労働階級の集団による意思決定によって決定され、労働者が集団的に生産した富の公正な分配を誰もが受けられるようになる。こんな「生産手段の民主化」は、資本主義の階級的で搾取的な関係からの根本的な脱却を示しており、より民主的で平等主義的な社会の礎を築く。さらに、社会主義は賃金上昇の問題に取り組む上で、根本的に異なるアプローチを与える。ただ利潤の最大化を求めたせいで賃金の増加が阻害されがちな資本主義とは異なり、社会主義は労働者の無限なる幸福と発展を優先する。生産性の向上は労働者に直接的な利益をもたらし、生み出された余剰は生活水準を向上させるために地域社会に再投資され、あらゆる人の賃金を引き上げるようになる。この再投資は成長と発展の好循環を促進し、社会的条件の改善が必然的に生産性の向上に繋がり、ひいては賃金と生活水準のさらなる向上を可能にする。労働者の利益を社会全体の目標と一致させることで、社会主義は労働の「生産的な潜在力」をフルに活用し、あらゆる人にとって、より豊かで公平な未来を創造しようとする。

 

従って、社会主義の下での賃金の増加は、社会全体の富と生産性の極大化に繋がるのである。社会がより生産的であり効率的になるにつれて、その恩恵は集団全体に共有される。この共有は参加型の予算の編成、共同の計画、労働者評議会などのメカニズムによって促進され、意思決定の過程において社会の全構成員の意見と利益が代表されるようになる。これにより、社会的条件の改善が生産性の向上に繋がり、ひいては賃金や生活水準のさらなる向上を可能にするという好循環が生まれる。富と資源の公平な分配は、個人の幸福を高めるだけでなく、社会的結束と連帯を強化し、持続的かつ包摂的な成長の基盤を築く。さらに、社会主義の下での賃金のあり方の変革は、より広範な社会の変革を伴っている。

 

社会主義は、資本主義の下に存在する社会的不平等を根絶し、職業、性別、人種、または経歴にかかわらず、あらゆる労働者が平等な待遇と報酬を受けられるようにすることを目指している。この平等と社会正義への社会主義者の約束は、資本主義社会で隅に疎外された各集団が屡々直面する差別と搾取に対処するものである。資本主義、利潤を生み出せる人なのかどうかを判断するので、これらの不正義は必然的。あらゆる人に平等な権利と機会を保証することで、社会主義は個人が地域社会の経済的及び社会的政策に完全に参加し、そこから利益を得ることを妨げる障壁を取り払おうとするものである。これは、制度的差別と搾取が著(いちじる)しい賃金格差をもたらす資本主義体制とは対照的。社会主義の下での平等の追求は、単に道徳的な要請というだけでなく、社会の全構成員の可能性と貢献を最大化し、それによって集団の幸福と生産性を高めるための実践的な戦略でもある。加えて、社会主義は各個人の潜在力の発現に焦点を置く。

 

すなわち、賃金は単なる生計の手段ではなく、誰もが自分の能力と才能を最大限に伸ばせるようにするための手段なのである。社会主義社会では教育、医療、そしてその他の必要不可欠なサービスに接することがあらゆる人に保証され、一人一人の発展の礎が与えられる。人的資本への投資は、社会に有意義に貢献するために必要な技能、知識、そして機会を個人に与えるものであり、社会的及び経済的発展の極めて重要な要素であると考えられている。社会主義の下での人間開発への焦点は、屡々幸福の社会的及び個人的側面を見落とす、利潤の最大化を重視する資本主義とは対照的なのである。

 

一人一人の無限なる発展を優先することで、社会主義はより包括的であり潜在力のある社会を育み、そこでは誰もが成長し、潜在能力を最大限に発揮する機会を得られる。人的資本への投資はさらに生産性を高め、社会の富の無限なる拡大に貢献し、賃金の上昇の礎を強化する。この「資本」の力学を深く掘り下げるには、その多面的な性質と経済の構造と社会関係の両方を作り出す役割に気付けなければならない。資本は単なる物的資産の集合体ではなく、資本主義社会に内在する力学の反映なのである。その潜在性と適応性は、資本を支える社会関係に根ざしており、資本家階級の支配を強化し、労働階級の搾取を永続させている。しかし、その一見不変の性質にもかかわらず、資本は決して無敵ではない。社会主義の変革の可能性は労働が商品化の制約から解放され、生産手段が労働者自身によって民主的に管理される社会のビジョンを与える。社会的及び経済的関係のこの根本的な所有関係の転換は、労働によって生み出された富が社会の全構成員の間で公平に共有される、より公正であり、より公平な社会への礎を築くのである。

 

資本主義の下で、賃金は労働力の価値によって決定され、それはただ市場で売買される「商品」として扱われる。労働力の価値は生活必需品だけでなく、医療や教育のような必要不可欠なサービスも含む、労働者の生活に必要な費用によって決まる。資本家は労働力を、その生産に必要な労働時間によって測定される価値で買う。しかし、労働者は労働力の価値を超える価値を生産し、資本家が利潤として充当する剰余価値を生み出す。この剰余価値の抽出は、資本主義の下の賃金制度に内在する搾取を永続させて、資本の蓄積を促進し資本家階級の支配を強くするのである。

 

一方で、社会主義は労働力の商品的地位を撤廃することによって、人間関係を根本的に変えようとしている。社会主義社会で、労働はもはや市場で売買されるものではなく、社会の集合的なニーズを満たすことを目的とした共同の努力となる。労働の本質におけるこの変革は、個人の利益の最大化から、共同体の幸福と発展の最大化へと焦点を移す。労働の本質的な価値と、この社会を維持し、発展させる上で不可欠な役割を認識することで、社会主義は資本主義の搾取的構造を撤廃して、より公平で公正な社会への道を開く。社会主義のビジョンの中心は、生産手段の集団所有であり、少数の利益を生み出すのではなく、共同体のニーズを満たす計画に従って生産を組織することである。

 

集団による所有によって、賃金を含む資源の分配が公平及び公正の原則に基づくことが保証される。賃金は市場の力によってではなく、労働者の集団の意思決定によって決定されるので、労働者が集団で生産した富の公正な分配を全員が確実に受けることができる。この参加型のアプローチは、責任感の共有と相互扶助の意識を育み、社会的結束と連帯を強化する。さらに、社会主義は資本主義とは根本的に異なる方法で賃金上昇の問題に取り組む。資本主義の下では、利潤を最大化するという命令によって賃金の増加が制限されることが多く、構造的な不平等や賃金の差に繋がる傾向がある。しかし、社会主義は違う。労働者の福祉と発展を優先し、生産性の向上が労働者に「直接」利益をもたらすようにする。生産性の向上によって生じた余剰は、生活水準を向上させるために地域社会に再投資され、あらゆる労働者の賃金を引き上げる。

 

この再投資が成長と発展の好循環を促進し、社会的条件の改善が生産性の向上に繋がり、それが賃金と生活水準のさらなる向上を可能にする。そういうわけで、社会主義の下での賃金の増加は、社会の富と生産性の全体的な拡大と繋がる傾向がある。社会がより生産的であり効率的になるにつれて、その恩恵は集団に共有され、社会の全構成員の賃金の上昇と生活水準の向上に繋がる。こんな形の共有は参加型の予算の編成、共同の計画、労働者評議会などのメカニズムによって促進され、意思決定の過程において社会の全構成員の意見と利益が代表されるようになる。経済計画へのより包括的で民主的なアプローチを促進することで、社会主義は持続的であり包括的な成長のための条件を作り出す。

 

賃金の上昇と社会的不平等への対応に加え、社会主義は生産と消費の根本的な原動力の変革も目指す。資本主義の下で、生産は利潤動機によって推進され、過剰生産、資源の過少利用、そして環境の悪化に繋がっている。一方で、社会主義は地域社会のニーズと資源の持続可能な利用を優先し、財とサービスの公平な分配を保証する計画に従って労働の集団を組織する。利潤を追求することではなく、社会的なニーズに沿った生産を行うことで、社会主義はより効率的であり、持続可能かつ公平な経済を育む。さらに社会主義は、資本主義社会に内在する伝統の分業と階層的な労働組織に立ち上がる。職場を民主化し、労働者が生産手段を統制できるようにすることで、社会主義はより平等であり、参加型の労働環境を作り出そうとしている。労働者の協同組合、集団的の意思決定、参加型の経営構造は、社会主義的ビジョンの不可欠な構成要素であり、労働者が生計と未来に影響を与える決定において発言権を持つことを保証する。

 

このような職場での民主化は、仕事の満足度と生産性を高めるだけでなく、労働者の所有意識と問題解決の能力を育む。さらに社会主義は経済、社会、そして環境問題の相互の関連性に気付き、人と地球の幸福を優先する総合的な開発のアプローチを提唱している。持続可能な開発の実践、そして再生可能なエネルギー源を守る活動を推進することで、社会主義は工業生産による環境への影響を緩和し、天然資源の長期的な存続可能性を確保しようとしている。環境の持続可能性へ社会主義者の約束は、社会的責任と世代間の公平性という社会主義のより広範な理念を反映したものであり、将来の世代が健康で活気に満ちた、回復力のある世界を受け継ぐことを保証するのである。結論として、社会主義の変革の可能性は「労働の搾取、富の集中、そして環境の悪化が公平性、連帯や持続可能性の原則」に取って代わられる社会のビジョンを与える。労働と資本の関係を再構築することによって、社会主義はあらゆる個人のニーズと願望が評価され尊重される、より公正で、公平で、人道的な社会の創造を目指す。共同の所有、民主的な意思決定、持続可能な開発実践として、社会主義は社会が常に繁栄し、機会が平等で、尊厳が普遍的である未来への道を開ける。