共産主義の諸原理、2/2

 

第四章、賃金とは?そしてその基準は?

 

何人かの労働者に「あなたの給料はいくらですか」と尋ねたら、それぞれの仕事に応じて異なる答えが返ってくるかもしれない。ある人は単に「1日7000円です」と答えるかもしれなく、ある人は36インチのリネンを織ったり、1ページの活字を組んだりと言った詳しい仕事の内容に応じて賃金を答えるかもしれない。たとえ答えの違いはあっても、「賃金」というものは特定の期間の労働、或いは特定の仕事の終わりへは雇用主が支払う金額である、ということでは皆同様であろう。詳しい仕事の内容や収入額にかかわらず、各労働者は「賃金」が仕事に費やした時間と労力への直接的な対価であることを認めるであろう。この金額は事前に合意されて普通に日払い、週払い、月払いなど一定の間隔で支払われる。そうである。「賃金」という考え方は、労働市場と雇用者と被雇用者の経済的関係を理解する上で基本的なものである。

 

すなわち、雇用者(資本家)は金銭で労働力を買い、その見返りに労働階級は自らの労働力を売っているように見える。しかし、実際はそうではない。資本家に売っているものは「労働」そのものではなく、あらゆる力を含めた「労働力」なのである。資本家はこの労働力を1日、1週間、1ヵ月、或いはその他の一定期間だけ買い取る。一旦労働力を買い取ると、資本家は労働者にその決められた期間に労働をさせることによって、他者の労働力を利用する。この労働と労働力の区別は極めて重要である。「労働」とは実際に「働く行為」であり、商品やサービスを生み出す肉体的及び精神的努力なのである。一方で、「労働力」とは労働を「遂行する能力や可能性」のことである。労働者が雇用契約を結ぶと、既に自分が行った労働を相手に売っているものではなく、将来合意された期間中に労働を行う能力を売っているものである。経済にとって、これは重要。従って、資本家は自分の事業目的を達成するために労働者の労働力を利用する権利を「購入」しているのである。

 

こう考えてみよう。資本家が労働力を買うために使うことと同様な金額、例えば200円があれば、一定量の砂糖やその他の製品を買えたはずであった。資本家が一定量の砂糖を買うことに使った200円は、その通りに砂糖の価格である。同様に資本家が12時間の労働力に費やした200円は、その12時間の労働の対価なのである。労働力は砂糖や他の商品と同様のように「商品」である。砂糖のような他の商品が重さで測られるのに対して、労働力は時間で測られるという違いがある。この比較は労働力が商品の中でいかに特殊であるかを浮き彫りにしている。ほとんどの商品が計量、計測、そして保管ができる有形の商品であるのに対し、労働力は人間とその時間に直接結びついた無形の商品である。上記の通りに資本家が砂糖を買うと、その資本家は自分の好きなように使ったり売ったりできる物理的な製品の所有権を得る。一方で、資本家が人間から労働力を購入する場合、基本的には労働者自身の労働能力を一定期間「レンタル」することになってしまう。この賃借された労働力は資本家の企業内の様々な仕事に適用され、利益を得るために販売できる商品やサービスを生産する。

 

労働者は自分の商品である「労働力」を、資本家の商品である「貨幣」と交換する。この交換は、一定の労働力への一定の金額で行われる。これにはそれぞれのレートがある。例えば12時間機織りをすれば、労働者は数百円以上を得る。この貨幣は肉、衣服、木材や灯火など、他の様々な商品を買うために使える。現実的には「労働者は自分の労働力を円という価値に基づいて、これらの他の商品と交換」したことになる。資本家は労働者に一定の貨幣を与えることによって、事実上、1日の労働と引き換えに、特定の量の商品とサービスを与えたことになる。この取引は、資本主義的経済の基本的な構成要素。労働者は食料、住居や衣服など、生存と福祉に必要な財やサービスを購入するために十分なお金を必要とする。

 

このお金を得るために、労働者は自分の労働力を資本家に売る。そうして得たお金で必要な商品を購入できる。労働力をお金と交換し、そのお金で他の商品を買うというこの一種の「サイクル」が、資本主義社会における労働者の役割の本質なのである。また、資本家もこの交換から利益を得ている。何故なら、資本家は利潤を得るために販売できる商品やサービスを生産することに必要な労働力を手に入れるためである。すなわち、この「円」というものは労働力の交換価値である。貨幣自体が労働力の交換による結果であり、労働力が他の商品でどれだけの価値があるかを示している。

 

円は人間の労働力の価値を表す普遍的尺度として機能する。一定の時間の労働で一定の円を得ることで、労働者は自分の労働力を、市場で様々な商品と変える金額を得られるのである。この変換は、労働力の価値が常に評価され、交渉される資本主義体制の大事なところである。その労働力の価値は、該当の労働者の技能、労働力の需要、経済の全般的な状況など、様々な要因によって決定される。これをより明確にするために、さらに分解してみよう。労働者は契約して雇用されると、一定時間働くことに同意し、働いた見返りとして報酬を得る。労働者が受け取る報酬は「労働量」と「労働時間」に応じて決まる。雇用主、すなわち資本家は「人間の労働力」の対価として彼らにお金を渡すのである。

 

労働力というものの概念を詳しく説明する。「労働力」には労働者の技能、エネルギー、そして時間が含まれる。それは、具体的な労働活動を通じて実現される抽象的な潜在能力である。資本家の目標は、商品やサービスの生産を通じて利潤を生み出すために、この潜在能力を活用することである。労働者と資本家の間の合意は、この交換の条件を概説し労働の期間と提供される報酬を規定する。この協定は雇用の関係の基本的側面であり、労働者が資本主義的経済に参加するための礎となる。もう一度、「砂糖」を買うことに例えてみよう。例えば、80円で9kgの砂糖を買うとしたら、その9kgの砂糖は好きなように使える。一気に全部使っても良く、少しずつ使っても良い。同様に資本家が労働力を買うと、労働者の能力を一定時間、例えば12時間使えるとしたら。この「12時間」の間、労働者は仕事を行い、資本家は労働者が作り出す製品やサービスから利益を得る。この利益から費用を除けば「利潤」になるのである。

 

砂糖は買い手の裁量で消費したり保存したりできるが、労働力は特定の時間枠内で使用されなければならない。労働者の労働力は本来、時間と労力に連動していて、一度使ってしまえば取り戻すことはできない。資本家は購入した労働力の効率と生産性を最大化して、「労働者の努力が生産ということ」で最大の見返りをもたらすようにする。労働者が稼いだお金、例えば12時間働いて1万円を稼げるとしたら、その1万円は衣食住のような他の必要なものを買うことに使える。これは労働者の労働力が、他の財と比較して一定の価値があることを示している。労働力を「お金」と交換することは、お金を「砂糖や他の商品」と交換することと大差はない。ただし、労働力は労働者が安定的に労働できるかどうか、その能力と結びついているので、特殊な商品である。従って労働力の価値は、その労働者のニーズと労働能力を維持するための費用を反映したものである。これには食料、住居、衣服、医療と教育などの生活必需品とかサービスが含まれている。あらゆる労働者が受け取る賃金は、これらのニーズを賄(まかな)えり、健康と生産性を維持することに十分でなければならない。

 

労働力と生活費の関係は、賃金水準と労働者の生活水準全体を決定する重要な要素。労働力と金銭との交換は変わらない過程であり、労働者は自分と家族を守るためにノルマを定期的に更新しなければならない。それでは、これがどのように機能しているのか、さらに深く掘り下げてみよう。資本家は「利益を上げること」を目的としている。そのためには購入した労働力から、その対価以上の価値を引き出す必要がある。そこで、「剰余価値」という概念が登場する。剰余価値とは労働者が労働を通じて生み出す、「賃金の価値以上の余分な価値」のことである。剰余価値の追求は資本主義的生産方式の原動力である。資本家は生産物が投入した費用を上回ることを期待して、労働力と生産手段に投資する。この剰余価値は、労働者によって生み出された製品やサービスが市場で売れると実現される。生産された商品の価値と労働者に支払われた賃金との差額は、資本家の利潤を構成する。利潤は生産を拡大し、より多く雇用し、収益性を高めるために事業に再投資される。

 

このように剰余価値の創出は、資本家の経済的戦略及び資本の蓄積にとって広範な原理の中心なのである。例えば、一人の労働者が12時間の労働を終えて、1万円の賃金を支払われたとしても、その「12時間で生産されたものの価値が1万円以上の価値」があれば、その差額は「剰余価値」となる。この剰余価値は資本家が企業の利潤として手元に残す。労働者の労働は賃金以上の価値を生み出し、この余剰価値が資本家の利潤の源泉となるのである。剰余価値は、労働者の労働によって生み出された価値と、資本家が購入した労働力の価値との差から生じる。

 

この差は、労働者が提供する無報酬の労働に相当するので、資本家による「搾取」の本質である。資本家が剰余価値を引き出せるかどうかは、工場の生産性、生産の過程の効率、労働の強度など、様々な要因に左右される。これらのところを最大化することによって、資本家は剰余価値の発生量を増加させられ、だからこそ収益性を高められるのである。剰余価値の概念は、資本の蓄積の原理と資本主義体制内に内在する不平等を理解するための礎である。この過程を良く分かるために、工場で働く一人の労働者を想像してみよう。この労働者は、12時間で3万円の価値の商品を生産するかもしれないが、給料は1万円しかもらえない。余分な2万円分の商品は「剰余価値」である。資本家はこれらの商品を売って自分の利益を上げ、この利益の一部を再投資して、さらに労働力、材料、そしてその他の必需品を購入し、サイクルを継続させる。

 

この例は、資本主義の下の企業における価値の創造と充当の過程を示している。人間の労働力は、支払われた賃金よりも高い市場での価値を持つ商品やサービスに変換される。資本家はこの「付加価値」を利潤として獲得し、事業を維持や拡大するために使う。この再投資は生産技術の継続的な改善、新技術の獲得、そして市場の範囲の拡大を可能にするので、資本主義的経済の成長と発展にとって極めて重要である。生産と再投資のサイクルは、このように資本主義を特徴づけるものであり、経済の成長と発展を促すと同時に労働力の搾取を永続させる。この過程は、労働力と商品の絶え間ない売買に依存している。労働者は必要なものを買うためにお金が必要なので、生きていくために労働力を売る必要がある。

 

資本家は、自分が売って利益を得られる商品やサービスを生産するために、他者の労働力を買う必要がある。そういうわけで労働力が絶えず買われ、使われ、貨幣や他の商品と交換される、生産と交換のサイクルが生まれる。労働力と商品の継続的な交換が、この経済体制の基幹を形成している。生産手段に接することを欠く労働者は、安定した生活を確保するために労働力を売らなければならない。この賃労働への依存は労働者を搾取されやすくし、市場の気まぐれに従わせる。資本家は、購入した労働力を効率的に活用することによって、利潤を最大化しようとする。労働者と資本家の間のこのダイナミックな相互作用は、両者がそれぞれの利益を追求するので、常に緊張と対立によって特徴づけられる。生産と交換のサイクルは、市場への労働力の絶え間ない流入と、その労働力によって生産される商品への継続的な需要によって維持されている。

 

労働力の価値は、他の商品と同様、生活費、労働者の技能や経験、市場における労働力の需要など、様々な要因に影響される。生活費が上昇すれば、労働者は基本的ニーズを満たすためにより高い賃金を必要とする。労働者に特別な技能や経験があれば、その労働力はより高い価値を持ち、より高い賃金につながるかもしれない。同様に労働力への需要が高ければ、雇用主は労働者を雇うために競争するので、賃金は上昇する。労働力の価値は、経済的、社会的、そして個人的な要因が絡み合って決まる。生活費は、労働者が労働力を維持するために必要な経費を反映するため、主要な決定要因である。これらの費用には、食費や住居費と言った基本的な必需品だけでなく、医療費、教育費と交通費と言ったその他の費用も含まれる。また、労働者の技能や経験も重要な役割を果たす。普通、専門的であり高度な技能を持つ労働力は、市場においてより高い価値を持つためである。しかも労働力需要は、より広範な経済的情勢、技術の進歩、産業や雇用の動向の影響を受ける。労働力への高い需要は賃金を押し上げ、労働力の供給の過剰は賃金水準を押し下げる可能性がある。

 

しかし、賃金は労働力の供給によっても影響を受ける。特定の仕事に就ける労働者が多ければ、雇用者の選択肢が増えるため、賃金は下がるかもしれない。労働者数が少なければ、雇用主は利用可能な労働者を引きつける必要があるので、賃金は高くなるかもしれない。この需要と供給の力学は、市場における労働力の価値を決定することに役立つ。労働市場は需要と供給の原理に従って運営され、労働者の供給力と労働力への需要が相互に作用して賃金の水準が決まる。労働力に余剰がある場合、雇用者は多くの労働者の中から一人を選択して、より低い賃金を提供できるので有利になる。

 

逆に労働力が不足していると、雇用主はより高い賃金とより良い労働条件を提供することによって、労働者を引き付け維持するために競争しなければならないので、労働者は「より大きな交渉力」を持つ。これは人口の動態、移民のパターン、教育の達成度、産業の需要の変わりなど、様々な要因に影響される。労働市場における需要と供給の原理を理解することは、賃金動向や雇用情勢を分析する上で不可欠である。もう一つ考慮すべき大事なことがある。「労働条件」と「労働時間の長さ」である。資本家は労働者を長時間労働させたり、より集中的に働かせたりすることで、購入した労働力を最大限に活用しようとする。これは労働者が過重の労働と低賃金という搾取に繋がる可能性が高い。自らを守るために労働者は組織化し、より良い賃金、労働時間の短縮、そして労働条件の改善などを要求するかもしれない。

 

そこで、公正な待遇と報酬を求めて闘う「組合」や労働運動が登場する。労働者の生産性を最大化しようとする追求は、しばしば労働のスケジュールの強化と長時間の労働に繋がってしまう。資本家は購入した労働力から最大限の価値を引き出そうとするので、過酷な労働条件や長時間の労働に繋がることがある。このような効率性と収益性の追求は、労働者の健康と福祉に有害な影響を及ぼして、肉体的及び精神的な疲労をもたらす可能性が高い。こうしたことに対応したいと思った労働者は歴史的に組合とかを組織して、より良い賃金、適正な労働時間、そしてより安全な労働環境を確保するため交渉を行ってきた。労働運動は、資本家の「搾取的慣行」に異議を唱え、雇用者と被雇用者の間の権力の均衡を図りつつ、労働者の権利を積極的に擁護し、労働基準を改善する上で力を発揮してきた。賃金とは、今の人が日常生活で良く耳にし、使ってくる言葉である。しかし、賃金とは何かを完全に理解するためには、最近「共産主義」を発展させた現代の思想家、カール・マルクスが説明した労働と価値の概念に深く踏み込む必要がある。まず、交換価値の基本概念を理解しよう。

 

一斤のパンであれ、一枚の布であれ、一時間の労働であれ、あらゆる商品には「交換価値」がある。交換価値とは、基本的に商品がお金に換算してどれくらいの価値があるかということである。交換価値を貨幣の価値に換算すると、我々はこれを「価格」と呼ぶ。すなわち、例えば一斤のパンが300円の価値があるとすれば、その300円がその「価格」ということになる。同様に、労働者の1時間の労働が1000円の価値があるとすれば、その1000円がその労働の価格なのである。賃金とは、「労働力の価格」を表す用語である。労働力とは人が働いて商品やサービスを生産する能力のこと。労働者が自分の労働力を雇用者に売ると、見返りとして賃金を受け取る。従って賃金とは、人間に宿る労働力という特殊な商品の使用へ支払われる金銭に過ぎない。この概念を良く理解するために、織工を例にとって考えてみよう。資本家の下で働く機織(はたお)り職人を想像せよ。資本家は機織りに必要な道具、すなわち織機と糸を相手に提供する。職人はこれらの道具を使って糸を布にする。

 

こうして布が出来上がると、資本家はそれを手に取って、例えば200円で市場に売る。さて、ここからが重要である。職人の賃金は「布」の分け前なのか?それとも、布を売って得た200円の分け前なのか?答えは前者にも後者にもない。職人の賃金は、直接的には製品(布)の一部でもなく、製品を売って得たお金でもない。実際に、職人が賃金を受け取ることは普通、布が売れるずっと前なのであり、時折は完全に織られる前であることもある。すなわち、資本家は布を売って得たお金から織工の賃金を支払うのではない。代わりに、資本家は「既に持っているお金」から賃金を支払う。

 

資本家は、「資本」と言われる一定の富を持っている。資本というものは原材料(糸など)、道具(織機など)と労働力(人間の労働能力など)など、生産に必要な様々なものを買うために使われる。資本家が機織り職人の労働力を購入する時も、糸や織機を購入するのと同様に行う。このような購入が行われると、職人の労働力を含む生産過程で使用されるあらゆるものは資本家のものとなる。この想定で職人は織機と同じように、ただ「労働の道具の一つ」となる。資本家の観点から見れば、職人は生産における役割において織機と同等である。織り手も、機織り機も、最終の製品(布)にも、それを売って得たお金にも、何の分け前もない。職人の労働力は買い取られ支払われたものであり、生産された布は全部「資本家のもの」である。これを理解すれば、賃金は「労働者が生産した商品の取り分」ではないことが分かる。むしろ賃金は、資本家が特定の量を生産できる労働力を買うために使う、既存の富の一部なのである。労働者は生きるためにお金を稼ぐ必要があるので、労働力を資本家に売る。労働力を売らなければ、労働者が衣食住のような生活必需品を買うことはできない。

 

生産過程とそれがどのように価値を生み出すかについて、さらに掘り下げてみよう。職人が働くと、一定の価値を持つ布ができる。その布の価値が200円であると想定する。それでも、織工の賃金は80円しかないかもしれない。布の価値(200円)と職人に支払われる賃金(80円)の差額が、「剰余価値」と言われるものである。この剰余価値が資本家の利潤の源泉である。資本家は購入した労働力から最大限、多くの剰余価値を引き出そうとする。すなわち、賃金を上げることはなく職人をできるだけ効率的に、できるだけ長く働かせることなのである。資本家がより多くの剰余価値を引き出せば引き出すほど、資本家はより多くの利益を得られる。これが「資本主義的生産の基本原理」なのである。

 

資本主義社会で、労働力は売買可能な商品として扱われる。他の商品と同様、その価値は様々な要因によって決まる。主な要因の一つは生活費である。労働力の価値は基本的に労働者が生活し、労働能力を維持するために必要な金額である。これには、衣食住などの基本的な必需品が含まれる。生活費が上昇すれば、労働力の価値も上昇する。何故なら、労働者は基本的なニーズを満たすためにより高い賃金を必要とするからである。逆に生活費が下がれば、労働力の価値も下がる可能性がある。「生活費」と「労働力の価値」の関係は、賃金がどのように決定されるのかを理解する上で極めて重要である。

 

労働力の価値は市場の力学、特に労働力の需給にも影響される。ある仕事に就ける労働者が多ければ、雇用主は多くの選択肢を持ち、結局より低い賃金を与えられるので、必ず賃金は低くなる反面、就業可能な労働者が少なければ、雇用主はより良い賃金を与えることで就業可能な労働者を引きつける必要があるので、必ず賃金は高くなる。こんな需要と供給の力学は、市場における労働力の価値を決定するのに役立つ。失業率が高いと、少ない仕事を大勢の労働者が奪い合うので、賃金は低下する傾向にある。逆に人手不足の時代には、雇用主が労働者の雇用を競うので、賃金は上昇する傾向にある。資本主義的生産の搾取的性格に気付いている労働者は、賃金や労働条件の改善を求めるために組織化することがある。組合と労働運動は、そんな公正な待遇と報酬を求めて闘う上で、歴史的に重要な役割を果たしてきた。団体交渉やストライキとして労働者は賃上げ、労働時間の短縮、そして労働条件の改善を確保することができた。この闘争は、労働者が自らの利益を守り、生活水準を向上させようとする労働市場の覚えるべき歴史である。労働者と資本家との権力のバランスは、経済の状況、政府の政策、労働者間の組織と連帯の水準に影響され、絶えず変わっている。

 

国家は賃金や労働条件を規制する役割も果たしている。政府は最低賃金の基準を定め、労働時間を規制し、安全な労働環境を確保する労働法とかを制定しなければならない。これらの規制は労働者を搾取から守り、公正な労働の慣行を促進することを目的としている。しかし、こうした規制の有効性は政治的及び経済的背景に左右されるかもしれない。時折は、強い資本主義的な利害関係が政府の政策に影響を及ぼし、労働者よりも雇用者を優遇するかもしれない。また、強い労働運動がより「保護的」で「進歩的」な労働法を推進すべきである。労働と賃金の力学には国際的なところもある。国際化した経済では、労働市場は相互に繋がっており、世界のある地域の賃金は別の地域の状況に影響される可能性がある。例えば人件費の安い国への仕事の調達は、人件費の高い国の賃金や労働条件を引き下げる可能性がある。

 

この国際的な観点は、労働者間の国際的連帯の必要性と国際的な労働基準の重要性を浮き彫りにする。国際的な労働機関のような組織が生まれて、世界中で公正な労働慣行を促進し、諸国で労働者の権利が尊重されるよう取り組む必要がある。将来を展望すると、労働と賃金の性質は進化し続けている。技術的な進歩は仕事の風景を変えつつあり、特定の種類の労働に対する需要を減少させる一方で、他の種類の労働に対する需要を増加させる可能性がある。こうした変化は、労働者にも資本家にも新たな課題と機会をもたらす。仕事の性質が変われば、賃金と労働力の力学も変わる。労働者は新しいタイプの仕事や技能に適応する必要があり、資本家は剰余価値を引き出す新たな方法を模索するであろう。公正な賃金と労働条件を求める継続的な闘いは、こうした新たなトレンドと技術によって形成されつつ、今後も永遠に続くであろう。

 

「労働」とは単に「働く」という行為以上のものであり、行動によって表現される命の本質。しかし、資本主義社会では、労働は商品となって、個人が生きる手段を確保するために売るものとなる。この議論では労働、賃金と労働者と資本家の関係について、同志のカール・マルクスの分析を掘り下げ、これらの概念の複雑さを解明することを目指す。労働者が自分の労働力を雇用主に売るということは、本質的に自分の生命活動の一部を売るということ。この生命活動、すなわち労働は労働者の存立という目的のための手段となる。労働者が労働に従事するのは、それ自体のためではなく、自分自身を守るため、生き続けるためである。マルクスは、この文脈で「労働は労働者の生活の不可欠な一部とみなされるのではなく、むしろ生活そのものを犠牲にするものとみなされる」と主張した。労働は商品となって資本家という最高の入札者に競り落とされる。

 

資本主義体制では、労働者の労働生産物は、その活動の究極的な目標や目的ではない。代わりに、労働者が自分のために生産するものは賃金であり、労働の対価として受け取る金銭的報酬。絹であれ、金であれ、宮殿であれ、彼らが生産する商品やサービスは、衣食住と言った生活必需品に変換される。従って、労働者の焦点は「労働そのもの」にあるのではなく、「労働によって得られる収益」にあり、そういうわけで基本的な欲求を満たせる。労働者にとって織ったり、紡いだ、建物を建てたりするなど、様々な形の労働に従事するために費やされる時間は、人生の本質を示すものではない。むしろ人生は労働が終わったところ、すなわち食卓、酒場、またはベッドの中から始まる。労働とは労働者から見れば、生存と安楽に必要な「賃金」を得るための手段。マルクスによれば蚕が毛虫としての寿命を延ばすために絹を紡ぐと、それは賃労働者のことに似ている。

 

「商品」としての労働力は比較的最近生まれたものである。奴隷制の社会や封建制度の社会のような過去の社会では、労働力は商品として扱われていなかった。奴隷や農奴は「労働力を売った」のではなく、「労働力そのものを所有者に売った」のである。奴隷は商品とみなされたが、労働力自体は商品ではなかった。同様に、農奴はただ労働力の一部を地主に売っただけであり、地主は農奴から貢納(コウノウ)を受けていた。資本主義の下では、労働は異なる形を取っている。現代には「賃労働」が生産の支配的な様式として登場している。特定の所有者や土地に縛られていた奴隷や農奴とは異なり、賃金労働者は自分自身を、或いは自分自身の一部を資本家に売る。賃金労働者は8時間、10時間、或いは12時間と言った日常生活の一部を、最高入札者ーすなわち生産手段を所有する資本家ーに競り落とすのである。賃金を理解するためには他の商品と同様に、労働力も「需要と供給の法則」に従うことに気付かなければならない。そういうわけで賃金は、あらゆる商品の価格を支配するものと同じ原則によって決定される。労働力の価格は生活費、技能や資格、市場の需要と労働者の交渉力など、様々な要因に影響される。賃金は労働者の恣意(シイ)として決められるものではなく経済力の相互作用による。

 

雇用者は利益を最大化するために人件費を最小限に抑えようとし、労働者は生活水準を向上させるためにより高い賃金を確保しようとする。労働者の交渉力は、ほとんど組合やその他の組織を通じた集団的な行為によって影響を受けて、賃金の水準を決める上で重要な役割を果たしているのである。今日のグローバル化した経済で、労働市場は皆が相互に繋がっており、世界のある地域の賃金は他の地域の賃金に影響を与える。人件費の安い国への雇用の調達は、人件費の高い地域の賃金を押し下げる。このグローバルな観点は労働者間の国際的連帯の重要性と、労働者の権利を守るためのグローバルな労働基準の必要性を示している。技術の進歩が労働の本質を変え続ける中、労働と賃金の力学は進化している。労働の自動化は産業を変革し、新たな機会を生み出すと同時に労働者に課題を突きつけている。こんな変わりに対応するためには、労働者が将来の仕事に対応できるよう、教育や職業訓練への投資が必要である。