みなさんこんばんは
久しぶりのブログです。
僕は、なんで誹謗中傷ってなくならないのだろう、とずっと疑問に思っていました。
そして一つの筋道が思いついたので書いてみようと思います。
結論から書いてみると
●目の前の出来事に対して、短絡的(不正確)なジャッジをしている。
●自分の思考を疑えない。(違う可能性はないだろうか、別の見方はないのか、別の情報はないのか、片方の人の意見だけをうのみにしていないか、思い込みはないのか…)
●強い感情を自分で処理ができない。(相手に攻撃することで解消してしまう)
ということなのではないかと思います。
僕が行っているマインドフルネス(欧米諸国で大流行している脳のトレーニング)では、
『評価や判断をせず(=ジャッジせず)、今に意識を向けるトレーニング』をします。
細かい説明はまたいずれ。
僕たちの脳(原始的な生き物もすべて)は、何か目の前の出来事に対して、瞬発的に良いか悪いか(味方か敵か)(安全か危険か)(エサなのか、毒なのか)を判断するようになっています。それは生き延びるためです。
ここで大事なのが、この僕らのジャッジする能力は、「瞬発的である」必要があり、「正確性」は後回しだということです。
目の前に落ちているロープを、ヘビかもと思って、危険から身を守る行動をとる。
ロープをヘビだと勘違いしてでも、びっくりして身構えられた方が生き延びる確率が高まるからです。
しかし、現代人にとって、生死にかかわる出来事に出会うことはまれ。
今の私たちにとっては、瞬発性よりも、ちょっと待てよ、これはロープだから大丈夫という冷静で正確な判断の方が大事なのです。
この原始的な機能は、現代人にとって、ストレスの源になってしまいます。
3.11以降しばらくの間、地震の警報アラームが何度も鳴ることがありました。でも、実際に地震はほとんど起きませんでした。勘違い(不正確)でもちょっとした可能性でアラームが鳴る方が、人命は守れる可能性が高まるかもしれません。ですが、むしろその警報アラームによって、毎回僕の心臓はバクバクして、かなりのストレスを感じました。不正確でも、瞬発的な判断をする。
そういったことが、僕らの脳の偏桃体という部分で起きています。
話を誹謗中傷に戻すと、
「情報源に触れる」
➡瞬発的に、なんてひどい!というジャッジをする。
➡強い感情が動き、感情にのまれたまま行動をする
瞬発的に、あいつ悪いやつ!などと判断をして、それを別の角度から見ることができないまま、強い感情にのまれて、人を攻撃する。
ちょっと待てよ、と立ち止まって、それって本当かな?情報源はなんだろう?なんでそうなったんだろう?何か事情があったのでは?他に違う意見はないのかな?など得た情報がどの程度確かなのかを吟味をしない。
また、自分の解釈(○○はなんてひどい人、ありえない、など)は正しいのか、少し時間を置いてみたり、他の誰かの意見を聞いてみたりできないまま、自分の内側の強い感情にまかせた行動をしてしまう。
後で勘違いでした、デマでした、誤情報でした、などと分かった時には……。
また、強い怒りなどの感情を自分でどう処理をしたらいいのか、僕はマインドフルネスを学ぶまで知りませんでした。だから強い感情を、人にぶつけて傷つけてしまうことがたくさんありました。
また人からも、自分についての間違った(偏った、誤解のある)情報で、傷つけられることもたくさんありました。
マインドフルネスのおかげで、自分の思考と距離をとり、視点を変えて物事を感がられたり、思い込みに気付いたり、自分の感情をなだめたり、強い感情と距離をとったり、適切なストレス発散方法をもっておくことなど、42歳の今になって、ようやくできるようになってきました。
表面的な情報だけで、人のことなんて、本当に判断してはいけないって思うのです。裏でどんな思いを抱えているのか、どれだけ傷ついて生きてきたのか、どな事情を抱えているのかなんて、誰にもう分からないと思うのです。
またそんな簡単に、人のことを裁ける(ジャッジできる)ほど、私達は、賢くなんてないんだと思います。
あの人ひどい!なんだよ!って思うことがあったら、まてよ?って、一度立ち止まるくせを、身につけたいです。
ということで、思いついて、久しぶりに文章にしてみました。
ふぅ。
最後まで読んでいただいてありがとうございました